朝になった。
寝心地の悪いソファーでの仮眠を終え、俺は欠伸をする。
――今日は雨か。
ざぁぁぁっ、ていう耳ざわりざわりな音に目を瞬かせつつ、俺は体を起した。
「おはよございます。 秋子さん」
「あら、祐一さん、早いですね」
「はいっ。 なんだかよく寝付けなくって……」
「あらあら、名雪のせいかしら? ごめんなさいね」
秋子さんは微笑と共に俺に僅かに頭を下げた。
とととっ、と走り出す秋子さんは朝ごはんの途中らしい。
キッチンにはサラダボウルに野菜が5人分盛られているだけだった。
――。
「俺、何か手伝いましょうか?」
「――そうですね、たまにはお願いしちゃいましょうか?」
「よろこんで」
「ふふっ、調子をよくしても何も出ませんよ」
秋子さんはそういって俺に仕事――といっても新聞をとってきたり、風呂を掃除したりということ。
を与えてくれた。
たまにはこう恩を返しておかなくっちゃと年甲斐もなく思いつつ俺は体を走らせるのである。
「さて、――今日のニュースは……」
”連続通り魔事件犯人?逮捕!”
ああっ、この前までワイドショーを賑わせていたあの事件もついに終わったか。
身代金事件といい、通り魔事件といいほん、と最近物騒だよなぁ……。
俺はまた、欠伸をしながらそんなことを思っていた。
がらっ――ぴしゃ。
「なぁ、名雪、1つ質問していいか?」
「へんたい」
「……なんで、こんな朝早く風呂にお前がいるんだよ」
「今日は部活の日なんだよ……」
俺は泣きたくなった。
昨日の夜から名雪とは何やら縁がないらしい。
たまたま、手伝いをしたらこうなる――ああっ、もうついていない。
「そうか――」
風呂は、言うまでもなく掃除できずじまい。
食事中も名雪の視線が痛かった。
ほんっとうに気まずい。
ごろり。
今日はなんだか動きたくない気分だった。
「祐一さん、ちょっとおつかい頼まれてくれないかしら?」
「はい」
11時30分。 俺は名雪の待つ学校へと一人自転車で走り出した。
風を切るようにして俺を乗せた自転車は現時点では快走を突っ切っていた。
見慣れた歩道には目をくれて、さらに先急ぐ。
学校までは自転車でいけばたいした距離は存在しない。
ラク、と言えてしまうほどだ。
とにかく、俺は秋子さんに預かった名雪の弁当を渡さなければいけない。
こんな時に限ってあゆと真琴は買い物にでかけていた。
珍しい事もあるものだ……。
あゆにいたっては昨日買い物に行ったはずなんだが、それが仇らしい。
心理はいつも向っていない方向に進むわけで、あゆの行動に真琴は不平を漏らした。
――あゆにとってはよっぽど好都合らしい。
あいつの思考は真琴に頼られている=お姉さん!?だからな。
そのためか出かけるときのあゆの張り切りよう、興奮のサマは絵になっていた。
「……ついた」
あと3日で新学期が始まるとなると実感が湧かない。
それだけこの休みは出会いが多かったからかもしれないが、どうだろう?
土地の安さにも勝ってこの学校の校庭の規模はめちゃくちゃだ。
第一グラウンドつまり校舎前で陸上部員は屯していた。
たむろ――名雪ともう1人の少女が走っている――それは……。
霧島 佳乃であった。
驚く事なかれ、陸上部部長、全国の候補にも選ばれたことのある名雪と佳乃は互角で走っていたのである。
歓声は名雪派、謎の少女派で2部され、陸上部総計38人は湧いていた。
そして、ラストスパート……。
「うそだろ――?」
佳乃のラストスパートは炸裂した。 最後10メートル。
名雪をあざ笑うかのような疾風怒濤のラストランで、佳乃は颯爽と勝利を飾ったのであった。
「うにゅ、負けちゃったよ〜……」
「部長どんま〜い」
「やった! 俺の勝ちだぞ! 昼飯おごれよ!」
……。
なんというか、まったりとした部活だな、と俺は思った。
内心はそうでないにしても表面化では凄く穏やかに見える。
それにしても――。
「やったよ〜、ポテト〜わたし、一番だよ〜」
佳乃があんなに凄い走りてだったとは予想外だ。
素で俺は驚いていたわけだし――。
おっと、名雪のこと忘れてた。
「名雪!」
ぴくっ、と一度肩を震わせ、名雪は俺の方に気がついた。
その距離10メートル。 ちょっと苦笑いを浮かべて名雪は俺を見つめていた。
「あっ……」
「あっ! 祐一くんだよ〜」
「うっ――」
にこりっ――と笑う名雪の視線が怖い。
つんっと名雪は踵を返すと部員の輪へと走っていった。
やばい――。 溝が深まった。
「祐一くん、見てた〜? わたし早いんだよ。
女の子だから」
上機嫌の佳乃は俺に近づいてきてそういうのだった。
かくも不条理――ポテトを見つめつつ俺は心底そう思うし、あっけらかんとした佳乃の態度もどうかと思う。
しかし、こいつには罪はないんだよなぁ……。
「ところでさ、お前、どうしてここにいるんだ?」
「う〜んと、かのりんダッシュの練習中だったの」
V、と突き出した片手に巻きつけられた黄色いリボンは眩しい。
俺の顔は思わず緩んだ。
仕方ないだろう? 俺も男なのだ――。
「? どうしたの? 祐一くんとってもエッチっぽいぞ〜」
「……と、すまない。 それより、俺、名雪に用事があるんだ。
それじゃな」
俺は手を振り走り出した。
全警戒神経が語りかけているんだ。 このままじゃ拙いと。
「あっ――、わたし待ってるよ」
ぴたり。
「なにぃっ!?」
「ほらっ、名雪、弁当だぞ」
「ありがとう、祐一」
長方形のお弁当箱は小さく2段に仕切られていた。
包みはけろぴーの柄をあしらったかわいい?つくりのそれは少しシックな色合いだ。
時折、洗濯物の中にこいつを観たような気がする。
だが、実際この包みをまじまじとみたのは初めてで――。
俺は思わず名雪に渡すタイミングを逸した。
「うー、祐一、お弁当箱頂戴よ」
「んっ、あっ、すまない――、それじゃ……」
「ねぇ、祐一?」
「何だ? そんな難しい顔して。 らしくないぞ」
「――そうかな? えっとー、皆休憩だよ!」
がしっ!
いきなり名雪は俺の腕を掴むと一目散に校舎へと向い走り出した。
――校舎手前の玄関口は、いつも遅刻ギリギリなため転ばないか心配な場所だ。
軽い段差があり、うっかりすると転ぶのだった。
ガラス越しに下駄箱が見えるが何人の生徒が上履きを持って帰っているんだろうか?
唐突に名雪は俺に詰め寄った。
「祐一」
「は――はい?」
「あのこ、祐一とどういう関係!?」
「……へっ?」
「ねっ、ねっ、どういう関係なの!?」
一歩一歩近づいてくる――っていうか嬉嬉してる!?
「な、誤解するな名雪、俺と佳乃は別に――」
「わぁ! 祐一って奥手だと思ったらもう下の名前で呼んでるんだー」
「……」
しまった! 水に油だぞ、ある意味――!
「祐一、本当はわたし、すごく祐一に話したいことがあるけど部活あるから」
じゃあね――と名雪は走り出した。
台風だ――ストーミー……どうするか、名雪との誤解は真骨頂である。
相沢 祐一は大ピンチのようだ……。
「はぁーー」