佳乃の後ろから、白衣を着た女医が姿を現した。

「あっ、お姉ちゃん、大変なんだよぉ、観鈴ちゃんがー」

 どうした? そう佳乃に問いかけ、視線を俺に向ける。向けた視線は何だか妙に意味有気。
 正直、俺は疑われているみたいだ。 女医の突き刺す視線ははそれを如実に物語っている。

「……ふぅっ。 で、この青年が寒風の中、彼女を外に放置した結果、彼女は風邪をこじらせ、熱をだした。
 骨子はそんなところでいいなかな? 佳乃」

「ち、違うよぉ、お姉ちゃん、祐一くんは単に観鈴ちゃんを連れてきただけ……なんだよぉ」

 今の間は俺への猜疑であろうか? まぁ、状況を説明していないのだ。
 佳乃に疑われるのも、それはそれで半信半疑として受け止めざるを得ないな。

 俺は極力当たり障りなしの笑顔を作り、女医と向かい合った。

「こいつ、最近こっちへ越してきたばかりなんですよ。
 引越しして間もなくて、慣れてなかったんだと思います。
 帰りのバスに乗った頃から体調が悪かったみたいで……」

「ほぅ、つまり、君は容疑を否認する、ということか?」

「なっ! 俺はそんなことしてない! 勝手に決めるな!!」

 ……はっ。 女医は気難しい顔している。 正直しまった!と思った。
 俺も眠いのかもしれないな。 それでちょっと不機嫌なのかも・・・。

「私は上っ面だけの子供は嫌いなんだよ。 ああっ、まぁ、構わない。
 真実なんだろう。 ――佳乃、すぐに診察に取り掛かるから、あっちの電気つけといてくれ」

 女医はそれだけいって、俺に背を向けた。
 
「あっ、そうそう。 私は霧島 聖。 最近こっちへ越してきたものだ。
 付け足すなら、一緒に越してきた佳乃は未だに熱は愚か、風邪もこじらせない。
 なんでだろうか」

 ……去っていった。 聖さんはそれだけ言うと去っていったのだった。
 どうしようか、と真剣に悩んでしまう。
 押しが……強いな、あの人。

「はい、祐一くん、観鈴ちゃんを診察台につれてくから、どいてね」

 華奢な体つきだが、憔悴している観鈴に肩を貸すくらいの力は十分なのだろう。
 それに、余り余計なことすると、変態さん扱いされる予感があった。

 俺はソファーで仮眠をとることにする。
 ちょーっと腹がすいたのは暫く我慢だな、仕方ないが。





 一撃は、俺を叩き起こすためのものだった。

 ……あぅっ。

 握りこぶしを振りかざしたのは、聖さんだ。 ……何か恨みでも作ったか?
 
「――はぁ」

 と、聖さんは呆れた溜息をはく。
 その目は真剣そのもの――まずいな。 俺はどうやら大事なことを忘れているらしい。

「……よからぬことが、何か、解るかい? 青年」

「――、解りません」

「ふぅっ。 君は、神尾さんの何なんだい? 親かい? 兄かい? それとも、恋人だとでも?
 ――少なくても、私にはそうは見えないな」

 冷ややかに、俺を見つめる聖さん――言いたいことは理解できた。
 そういえば、と頷いておく。 だが、そういえば、ではなかろう。

「今、20時時30分。 電話を入れるのが礼儀ではないか?」

 それこそ、年上、というより、大人の威厳を感じる一言だった。
 思わず、自分の携帯を開き、短縮を押してしまうほどに。

「……って、まずい! 晴子さんのアドレス知らないしっ……」

 俺は思わず舌打ちした。 そして、余計に焦って頭が巧く回らない――。

「馬鹿か? 青年は」

「――はっ?」

「佳乃から聞いた。 君の叔母さんも行ったそうじゃないか。
まさか、その叔母さんの電話番号まで、知らないとは言わないだろう?」

「……ぐむぅっ」

 恥辱だぁ……すっごく恥ずかしいし。
 窘められる恥ずかしさに、俺は耳まで真っ赤にした。

 借りを作ってしまったが、まぁ、仕方なし。
 俺は秋子さんに連絡をいれる。


『はいっ』

 ……なんで、名雪がでるんだよ。  

「あっ、もしもし、名雪か?」

『あっ、祐一、どうかしたの? 息、荒いよ〜』

 至極落ち着いた雰囲気、この時間だと、温泉上がりなのかもしれない。
 非常にリラックスした面持ちで、名雪は俺に受け答えた。

「あーっ、実はな、観鈴が熱出したんだ。 それで、」

『わっ、大変だよ。 お母さんに代わろうか?』

「いや、今病院だから。 えーっと、そうだ晴子さんに代わってくれないか?」

『う〜、祐一ぃ、晴子さん、お酒入って眠ってるよ』

「・・・・・・・じゃあ、伝えておいてくれ。 あなたの大事な娘さんが、
 熱出して、ぶっ倒れましたって――」



 ガクンッ、と俺は肩を落とし、名雪の返事を聞く前に電源ボタンを押した。

 聖さんは言うべき事を熟考するかのように、目を瞑って考え込んでいる。
 そして、軽く呼吸すると、口を開いた。

 思うのだが、通天閣のTシャツはいかがなものか。

「――その様子だと、まぁ、聞くまでもないな」

「……はぁ。 どうしましょう」

「君はバカか? さっさと家に帰れ。 観鈴くんは今日一日入院だから。
 君がここにいる理由はなかろう」

「確かに」

 有無を言わず、従う、というか従わされた俺は霧島診療所を後にした。
 追い出された形となる俺は帰路に着く。



 ――そんな俺に、秋子さんからの連絡が入ったのは家に帰って直ぐのことであった。 






〜♪〜♪〜……。

「はいっ」

『こんばんわ、祐一さん。 今、家ですか?』

 ――ちょっとぼぅっとしていたから相手を確認せずに、
 俺は電話にでた。

 秋子さんだ――と寝ぼけた顔がはっとする。

「あ、はい、こんばんわ。 秋子さん」

『ええっ、こんばんわ。祐一さん』

 ちょっと声の調子が曇っている。
 後ろの方で、名雪や真琴が笑っているのが聞こえるが―― 一体何のようだろう。

「あの……」

『祐一さん。 観鈴ちゃんが熱で倒れたそうですね』

「はいっ、すみません」

『あらあら、あなたが誤る必要はありません。 晴子さんも寝ているのだから、
 文句の言いようもありませんし。 取り合えず、ですが、私としては祐一さんに連絡を入れて欲しかったです。
 一応、私も保護者なのですから、名雪がでたのなら私に代わってください』

「あっ――」

 ううんっ、あの時は今よりも寝ぼけていたし焦っていた。
 何せ聖さんが怖かったし。 だが、それは理由にはならないんだろうな。
 俺は電話越しにぺこりっ、と一礼した。

「それで、観鈴ちゃんの様子はどうでしょう? 特に問題ありませんでしたか?」

「はいっ。 お医者さんも軽い発熱だって言ってました」

「そうですか。 では、祐一さんには迷惑を掛けるかもしれませんが、もう一日だけ、
 お願いできますか? 明日どうしても行かなければならないところがありまして」

 ――行かなければならないところ?
  撫し付けがましく聞くのとか、干渉だとか、そういうのは嫌いなので、俺は軽く流す。
 
 となるとまぁ、俺が答える返事なんてそう数の多いものじゃない。

「わかりました。 安心して旅行楽しんできてください。 その代わり――、
 お土産期待していいですか?」

『あらあら――』

 フフフッ、と笑い声が電話越しに聞こえた。
 たまにはしたたかにでてみるのも、子供らしくていいのかもしれない。
 
 現に秋子さんは上機嫌みたいだし。

『了承。祐一さんそれじゃあ、よろしくお願いしますね。
 晴子さんには私から説明しておきますから』

「あっ、はい」

『それでは、お休みなさい』

「お休みなさい。 秋子さん」

 ……電話を終えると、ちょっとした問題が発展する。
 寝る前だが、いよいよ腹の減り具合も極地を通り越して死滅寸前といった感じになっていたのだ。


 ぐぅぅぅぅっ……。

 何か無いか、と俺は冷蔵庫に駆けつけた。

「……あっ」

 冷蔵庫には朝の残りが多少ラッピングされて残っている。
 そういえば俺が片付けたのだっけ。 すっかり忘れていた――。

 御飯は2人で朝食を食べただけだから当然残っている。
 レンジでチンして食べれば取り合えず腹の虫は治まるに違いない。






「ふぅっ――」

 満腹に次に襲い掛かったのは強烈な眠気だった。
 ――眠い。 眠すぎだ。といった具合に……。

 ごろんっ、とソファに横になり俺は目を閉じる。
 
 歯も磨かないし風呂も沸かす気力ももうない。
 さっさと寝てしまおう。 俺は意思に従って、そのまま、朝まで起きることは無かった。