秋子さんが帰ってくる日、俺と観鈴は別に何をするでもなくのんびりと過していた。
――こうして向かい合って昼御飯を食べるのは最後だろうな、と寂しさのようなものを俺は感じた。
とはいえ、何も後悔とかそういう気分ではない。
「ま、それなりに楽しかったか」
「にはは、そうですね」
ぶぉぉー―。
水瀬家の前に車が停車する。 どたどたと足音が聞こえる。
「さて、帰ってきたぞ? あの足音は真琴か、もしくはあゆだ」
「にはは、」
静寂だったここ数日、体はなまっていないだろうか?
随分とあわただしかったここ数日、俺は何かえるものがたくさんあったような気もする。
少なくても、視野は否応なしに広がったかな――。
ドタドタドタドタっ!!
デッドヒートを展開し、それを制し俺に向って走ってきたあゆ。
リビングで俺を見つけるなり、あゆは突進してきた。
一秒差、そんな感じで悔しそうな真琴は地団駄を踏んでいた。
ジャンプッ――。
条件反射だなぁ――つくづく感じるんだが、あゆの突進を俺は横っ飛びで避ける。
「ほいっ」
ばたばたと手を振ってバランスを崩すあゆの首根っこを掴み、俺はあゆを救済した。
――なのに、涙ぐんで、あゆは俺を睨んでいた。
「うぐぅっ! 祐一くんの人でなし!」
何だかうぐぅに感銘を覚えている俺はあゆに既に毒されているらしい。
涙腺がいろんな意味で熱いのは多分、あゆへのバカさ加減への賛美だ。
「あぅ〜、何、1人でどじしてるのよ! かっこ悪いわよ?
あゆっ!」
「そうだよ、あゆちゃん」
「あらあら、あゆちゃん、どうして祐一さんに首根っこを掴まれているのかしら?」
「なんや? 観鈴、元気そうやないか、つーか、何で一本釣りされてるんや?
あゆ」
――右から順序不動に真琴、名雪、秋子さん、晴子さん。
みな、あゆに視線は一点張りであった。
「よかったな? あゆ。」
「うぐぅっ――祐一くんの、祐一くんの、祐一くんのぉ!!」
ひとでなし〜〜〜!!!
家中に、そこら中にあゆの声が響き渡ったのを聞いて俺は何やらほっとしている。
何だかんだいってにぎやかなほうが俺は好きらしい。
だから、首根っこを離してあゆに言ってやった。
「まっ、お帰りな、あゆ」
うぐぅっ――あゆの沈黙は長かった。
長い旅行のあと家に帰ると、家事がしたくなくなる。
そんな気持ち、俺は味わった事はないが秋子さん、晴子さんはそうらしい。
というわけで、外食へと出かけることとなった夕暮れ時、歩きながら見る夕焼けに俺はものみの丘の光景を重ねた。
「にはは――夕焼けキレイですね、祐一さん」
「だな」
どうやら、観鈴も同じことを考えていたらしい。
あの光景は凄くいいものだったから。
と、俺のムードに割り込むかのように、肩を誰かがタップした。
「ねぇ、祐一、2人だけで何話してるの?」
わたしにも聞かせてよぉ〜、とまるで子供みたいに名雪が割り込んでくる。
――つぅか、あゆと真琴は秋子さんにべったりだから、逆算すると、名雪しかいないんだった。
「うーん、昨日な」
「うんうん」
「観鈴と、天野とでものみの丘で夕焼けを観ていたんだ。
もうやばいくらいにキレイだったぞ」
「えぇ〜〜! 祐一ずるいよ〜、昨日、わたし達のとこ、雨だったんだよ?」
天候を俺に擦り付けるな。 とはいいつつも、日程を思い返してみるに、名雪達は昨日は結構山のほうに行っていたらしい。
天気は崩れ易いみたいだか、仕方ないだろうに。
「だが、観れたら絶景だったろうな」
「そうなんだよー。 わたし、楽しみにしてたのになぁ……」
「はぁー、別に、夕焼け見に行くくらい、俺が連れてってやるって。
ちなみにものみの丘だぞ?」
金ないし。
「う、うわ……祐一が珍しくわたしに優しいよ」
「が、がお……祐一さんが」
「お前まで乗るな、観鈴!」
やれやれ、と溜息を吐く。 何時の間にやら名雪と観鈴は意気投合していた。
商店街を少し歩いたところまでやってくる。
――つきましたよ。
俺は思わず閉口した。
ワケがちゃんとある。
そこは、この町では知らない人がいない、というほど有名な、味はいいが値段もいい、で有名な中華料理屋だったのだ。
「これは、夢か」
「祐一――貧乏臭い」
誰か、この鼓動を止めてはくれないだろうか。
店に入るなり、俺の心は高鳴った。
鼓動を感じる。 油の匂い。 生活感の漂う店内。
仕切りの柄も鳳凰だとか麒麟だとか龍だとか……。
まるで別世界に紛れ込むかのような世界から隔離された王国は商店街に存在した。
たかが、中華、されど中華。 中華街の料理人たちもこっそり味を盗みに来ることで知られる天皇家ご用達?
とまで例えられた店内は落ち着いた、とはいいがたい高級感にあふれ帰っていた。
「――祐一くん、固まってるよ」
「うっさい、あゆ。 俺、こういうとこ初めてなんだよ」
「……うぐぅっ、実はボクも凄く緊張してるよ」
そうそう、そう素直にしていればかわいいんだよ、って名雪はどうしてそんなに落ち着いているんだ?
真琴もだ。 なんだか秋子さんの腕に抱きついて話している。
観鈴は、といえば1人別世界。 落ち着きすぎだと思う。
「祐一くん、ボク達だけだよ、こんなに場違いを感じてるの」
あゆは耳打ち際で切ない事を言ってくれた。
かくして、俺達は席へと導かれる。 途中、どうしても目に止まるのがお客さんの顔ぶれ。
恰幅のいいおっさんや、貴婦人。 芸能人では、と思えるほど顔のつくりの整った女性。
――料理人だな、と思える人もしっかり混じっていた。
ガチガチ……。
右手右足、左手左足――。
円形の艶のある食卓に俺達は座る。 隣は晴子さんと、あゆだ。
「なぁ、祐一?」
「へっ?」
「観鈴、何もなかった?」
「何もって言われても、別に発熱以外は別に」
「――そうか、あんた、観鈴に随分優しく接してくれたんやな」
「……?」
晴子さんの顔に照れたような微笑が浮かんだ。
「あのな、ああみえてあの子人見知り激しいんや。
直ぐに泣くし」
「――……そうなんですか? あいつ全然普通でしたけど」
どこか、寂しげな眼差しで、遠くを見るように、晴子さんの視線はうつろぐ。
「あいつ、元気すぎてしょうがなかったですけど」
「そっか」晴子さんは嬉しそうにそう言った。
運ばれてきたメニューは凄い。
なんていうか圧巻。 豚だって丸焼きだ。 鳥だって細工が施されている。
というかふかひれを隅っこに置く中華料理って一体――。
箸を伸ばすのを思わず俺は躊躇した。
「なんや? 祐一、うちの飯が喰えんのか?」
隣では晴子さんがちょっと皮肉りつつ笑って言う。
そんな仕草がらしくもなく少し以外に見えたのは秘密だ。
かくして、俺は取り合えず中華風野菜炒めに手を伸ばした。
うわっ、あわびはいってるぞ、これ。
馴れた。
あゆも、俺ももう、馴れた。
杏仁豆腐を食した俺達は満腹感で満たされる。
――精神的におなか一杯だというのも一理あるが。
「ほな、祐一、借りてくで」
「解りました。 でも、明日には返してくださいね」
冗談めかして、秋子さんが言うと、アハハ、と晴子さんは爆笑した。
よく、話がつかめないが、俺は晴子さんに拉致された。
今、口当たりのいい瓶入りの紹興酒を飲むという場違いな光景が俺と晴子さんで、深夜の街路でひっそりと展開されている。
静けさと、涼しさがあるアスファルトは、その静謐さを一層掻きたて、心なし聞こえないはずの声が聞こえてきそうな気配だ。
「なぁ―、祐一」
ビクリッ。
「何震えとんの?」
あはは、と空笑いを返して、俺は晴子さんの横を歩く。
月夜を見上げる晴子さんとしっとりとした独特な色の髪は月明かりに照らされ、独壇場といった感じである。
ぐいっ、と晴子さんは紹興酒を口に含んだ。
「あんたには言っとかんと、あかん、と思ってあの子等に席外してもらったんや」
「えっ――?」
ばしっ、晴子さんの関西直伝な突っ込みは俺の胸に衝撃した。
「アホか? な〜に深刻な顔しとんの」
「いやっ〜、その雰囲気的に、っていうか……」
「あの子な、ああ見えて、人見知りすっごくはげしい。
それでな? すぐ癇癪起して泣きだすんや。
気付いたら、学校に居場所が泣くなっとったんや。
ここに来たのもそれから逃れるためみたいなもんや」
「――」
意外な話――切り出されて戸惑うような話に俺は正直困惑した。
観鈴と生活した上で、そんな感じはなかった。
だが、そうだったというのなら、余程、無理したのではないか?
そう思うと、胸が痛くなる。
「秋子さんに誘われてときもな、ウチ、猛反対したんやで?」
「――」
「あんた、男やし」
抱いた事のないものをぶち当てられると正直腹立たしい。
でも、晴子さんの意見は正しいと思った。
「じゃあ、どうして?」
「秋子さんや、秋子さん。 骨が折れたわ。
あの人にあそこまで諭されて、頷けない人間なんておらんって」
「どういう、ことですか? あれは、単なる温泉旅行じゃ」
「ウチは少なくてもそう思っとるで〜?」
酔いが回ってきたな、と俺はこれ以上の話に期待など持てないことを理解した。
辻褄が合わない、が秋子さんに後で聞けば判ることだ。
騙された、という気持ちもある。
多分、俺は試されたんだろう。 秋子さんに信頼されている事が正直嬉しかった。
今日は泊りらしく、水瀬家へと俺と晴子さんは歩いて行く。
「ゆういちさ〜ん、おかあさ〜ん」
玄関前で手を振る美鈴の姿が見えた。
「祐一、ありがとな」
「……俺には、何が何だか」
どうも照れくさくってこの後、頭をかくんだがそんなことどうでもいい話。
さらに、どうでもいい話をベッドに潜りつつ、思い出す。
――みやげ、まだもらってない。
俺って――少し貧乏性かもしれない。 改善の余地大有りだ。
慎もう。