第8話



 どしゃぶりの雨が、月を隠した。

 雲はどんよりとしていて、心までもやもやしてくる……。

 窓から見える情景は、軒、隣の雑居ビルの壁、そして、どんより雲。

 祐一は単身、遠野家へと向かった。 嫌な予感がする、とのことだ。 あんまり口にはしないが、そういう時は大体あたる。
実証経験済みな、あゆはそう思う。

――遠野 秋葉――、祐一くんの過去を、あの人は知っているのだろうか。

 まるで、意図的に祐一くんを遠野家へと出向かせた、秋葉に相変わらず、あゆは嫌悪気味だ。
 あゆは躊躇ったが、保険が欲しかった。 
 
 急いで家を駆け出したあゆが向かったのは商店街の電話ボックス。 テンポ良く、押しボタンを操ると、
ルルル……と耳に馴染まないコール音があゆの耳を刺激する。
 
『はいっ、もしもし?』

「名雪さん――、ちょっとお話しませんか?」









 祐一は遠野家とは逆方向に向かっていた。

 と、いうのはブルゾンをアルクェイドのマンションに置きっぱなしのことに築いたためだ。
 
 祐一は厚着をあれしか持っていない。

 傘を片手に、走る祐一の足はその速さで、水しぶきすら微弱だった。




「おいっ、アルクェイドいるか?」

『……、祐一?』
 
 インターホン越しにアルクェイドの声が木霊し、祐一はほっとした。
 用件を簡潔に言うと、乾いた血のりがこびり付いた、濃緑色のブルゾンを携え、アルクェイドはドアを開ける。

「……洗濯ぐらいしといてくれよ」

「えっ?」

「――もういいっ、時間がないんでな、また今度教えてやる」

「むっ、何、その言い草」

「だあっ、こっちは急いでるんだよっ!!」

「へっ?なんで?」

「遠野家とかいうハイソな連中にちょっとお呼ばれなんだっ、ったくだからお前に構ってる時間ないの」

「とおの……、」

「んっ?」

 アルクェイドの口が孤を描く。

「ねー、ねー、祐一、わたしも行くわ」

 唖然とした。 祐一は顎でも外れるかと思った。 無論、モノの例えだが。
アルクェイドはこうなると、融通が効かない。
 あきらめるしかない。 祐一は重重承知で、うなだれると、一度、首を縦に振った。


 駆け足で階段をおりると、祐一は抱えていたブルゾンを羽織る。

「ねぇ、祐一?」

「どうした、アルクェイド」

今、駆け出そうと思った瞬間、アルクェイドに声を掛けられた。 そして、無言で小さな瓶を祐一に渡す。

「保険、その2よ。 昨日の今日でしょ? まだ、完全じゃないんじゃない?」

「精霊の秘薬だったか?」

「そうよ」

「……」

 力を要することなく瓶の蓋は開いた。 鼻を近づけなくてもむわっとくるアンモニア臭。
解るのは、これがアルカリ性、肉体疲労に効果有り、――それくらいなら、飲まなくても……、

「祐一、どうかした?」

――アルクェイドの目は、俺がこの胡散臭いクスリを飲むものと疑っていない。

 祐一の口元が僅かに引きつる。

「お前、これ、どうやって俺に飲ませた?」

「えっ、普通に流し込んだけど?」

「何っ!?飲んだのか、俺」

「うんっ、まるで上等なワインでも口にするみたいに」

「う、嘘だぁっ」

「ホントよ」

 ちらっと瓶を覗く。 目を瓶の口の辺りにもってくると、何故か目が痛い。

――本当に、これは、人間の摂取できるものか?

 どうかしている、寝ているとき、どうかしていた。 苦し紛れの言い訳、何時までも進まない道程……。

 切り出したのは、アルクェイドだった。

「もうっ、さっさと飲みなさい」

 ぐいっ・・・ゴクンッ。

 味に例えるなら、赤錆の篭った開放直後の水道水、それに塩とお酢を少々、まろやかになったところに
バジリコとガラムマサラ、隠し味は刻んだローリエを惜しげなく……。
 完全に用途を間違った作品に仕上がる、そんなものだ。 一言でいうなら、やっぱりこれは昇天もの。
補足するなら、苦い。

 嗚咽しそうな異臭が祐一の口を制圧した。

 祐一は躊躇うことなく走り出す、 アルクェイド? んな奴知るか、知ってても答えてやらん、問いわんばかり、
とにかく口を大きく開けて、外の空気と体内の空気、それどころか、全ての酸素と二酸化炭素の総入れ替え、
夜逃げ同然にやってやる、構うものかっ!!……ソレくらいのノリが祐一にはその時あった。

 






 まるで、映画のセットのように出来すぎた洋館。 荘厳な構えの門、立派な、趣と歴史を感じる西洋館。
庭と屋敷までの距離も完璧……。
 あと、カラスでも洋館の屋根に乗っかっていればゴーストハウスでも通じそうな遠野家に2人がようやく到着
する頃には、雨は大分小ぶりになっていた。
 
「ねぇ、門、閉まってない?」

「当たり前だ。 いいか、こういうハイソな家では門限なんていう大層なシステムが存在するんだ」

「へぇ、」

「で、こういうときは門を壊すか、よじ登るかぐらいしか考えが浮かばない。 アルクェイドなら、どうする?」

「……、よじ登るわ」

「はあっ――」

 先程の秘薬のせいで相当テンションが上がっているらしく、考え方が反対の賛成の祐一は例の如く、聖刻を解放する
と、それを右腕の膂力に転換した。

そして、その拳を思いっきり突き出す。



「――、人の家の門を壊すのは、いただけないな」

「んっ?まだ、壊してないぞ」

「……未遂、か。 俺は遠野 志貴。 君が相沢 祐一くんだね。 歓迎するよえっと、そちらは」

「アルクェイド・ブリュンスタッド」

「?」

 わずかに、アルクェイドの声がぶれた――祐一はそれに些細な疑問符を浮かべる。

「祐一、何ぼさっとしてるの?」

「あっ、すまない」

「もうっ、早く行こうよ」

 


 針のように、ちくちく、と秋葉は祐一を見据える。

「どうも、良く来てくれましたね。 ――来ないかと思ったわ」

「別に、来たくて来たんじゃあないさ、あんたが、遠野 秋葉、それでいいんだな?」

「ええっ、歓迎します。 相沢 祐一。 では、奥で晩餐会を始めますので、
兄さん、案内の方、よろしくお願いします」

「ああっ」

秋葉が去ると、くすっとアルクェイドは笑みを零した。 そして、祐一の耳元でそっと呟く。

「あの娘、わたしを数に入れる気は無いみたい。 暫く庭を散策してるわっ
何かあったら――まっ、自分で対処してね」

「端っからそのつもりだ」

 祐一と志貴についていくフリをして、アルクェイドは途中で通路を横に曲がった。
 
 

 想像以上の豪華さを誇る料理の数々が並べられた大きなテーブル。 そこに腰掛けて待っていたのは秋葉
ただ1人だ。
志貴は秋葉と向かい合うようにして座ったので、祐一も志貴の左隣の席に座る。

 秋葉の後ろに琥珀が、志貴の後ろに琥珀と顔立ちの似た双子の妹、メイドの翡翠を除いて、何時までたっても
祐一と志貴そして、秋葉以外、晩餐会だというのに来客が無い。
 ただ、機械的にフォークとナイフの擦れる音が耳に焼きつく、それほどまでに沈静とした、寂しい晩餐会は
やがて、デザートを迎える。
 その間、何度か祐一は秋葉と、志貴に目配せをしてみる、志貴はともかく秋葉は目を閉じたような感じで気付いてすら
いない。

――ったく、何だよ、こりゃ。

 何となく、視線を琥珀に送ってみると、一度軽く微笑んでくれたのに、以外さを憶えた。
 
 





「相沢さん、」

 祐一のデザートを口にする、スプーンが口に入る済んでで止まる。

「食べてからで良いです」

「そうさせてもらう」

 口の中でビターチョコが広まるのに満足し、祐一はスプーンを置いた。

「早速ですが、相沢さんに行っておくことがあります」

「……」

 雰囲気が変わった。 ぴりっと静電気のように、遠野秋葉の気配が室内に充満する。 やな気配だ、と
祐一は小さく唸る。 秋葉の口が開いた。

「無駄なことはしないほうがいいですよ」

「――、無駄? 例えば?」

「あなたが、今、必死になってやっていらっしゃることよ」

「断る、と言ったら?」

「あなたに反論の余地はありません。 すでにこの家から、帰ることなどできないのだから」

「――ガキッ」

「止める、その人ことで、あなたは呪縛から解放されるんです、バカですか?」

「まな板」

「何と言おうと動じません」

「――、やめられないな、悪いが」

「川澄 舞もそう言って断りました」

 川澄 舞、その名を聞くと、祐一の表情が険しくなる。 秋葉をきつく睨めつけるも、さらっと流される。
感情を口に出したら負けだ。 力む手が腿を深く抉る。 だが、祐一は極力、平静な顔を装った。
 
「……」


 祐一は耐え抜く。 冷めた秋葉の視線から、秋葉の口から放たれる祐一への示唆から……、
 くすっ、と鼻で笑うと、秋葉は琥珀に目配せした。
 
 琥珀は一度頷く。

「相沢さん、申し訳ありませんが、立っていただけますか?」

「――」

 琥珀に言われるがまま、祐一は席を立つ、すると……

「あはっ、落ちちゃえ」

 ズンッ

「っ!!?」

 油断大敵、とはこの事だ。 何で、落とし穴がこんなところに? などと質問している暇もなく、祐一の身体は
床下奥深く――地下へと急降下していった。


あとがき

 冒頭部のは、あんまり気にしないで下さい。
 
 最後の琥珀さんの台詞なんかも気にしないで下さい。 言わせたかっただけです。

 次回、琥珀迷宮編その1です。

 舞もその内合流予定。

 


 感想とかもらえると嬉しいです。





 とっぷ