第21話


 留美は、今だ、ほんの数分前の光景が信じられなかった。

 まるで、捻じ曲がった鉄パイプにでもなったかのように、心はずきずきと痛む。
 あの光景は、真――なのだろうか?

「何度、振り返っても、ここでは自由だけど、形のいい野菜だけ選りすぐるような
 考えはやめてね。 わたしも迷惑だし」

 まるで、自分の気持ちを見透かしているかのような彼女は、良く見れば、自分と対して代わらない年齢。
 だのに、極端なまでに大人びていた。

 留美に最終通牒のように言い渡された。

 どうやら、じらされるのは嫌いらしい彼女はまた、無言で勝手に歩き出してしまった。

 この世界では、留美はただ、少女に従うしかないようだ。

 たしか、仮眠のような状態に入っているはずなのだが――閉鎖された空間のごく一部を拝見している。
 そんなふうにさえ、留美には思えた。

「皮肉だね。 暗がりが明ける、というのに、あなたに待っている過去はどうやら、
 陰湿ところだけみたい。 まっ、それも、運命だと思って享受してほしいな」

 少し泣いたのか、留美の目元は赤い。 味気の無い服で、目元を拭った留美は胡乱気に彼女を見つめた。

「まだ、この先を見ていないから……」

「んっ?」

「あたしは、まだ、この先を見ていないから、あの、何も言えないけど、これだけじゃ、まだ、自分
 を理解している、なんて甚だ可笑しいわね。 ……償うのは、起きてからにするわ」

 それがいい、とは決して彼女は口にはしない。 ただ、目を細め冷ややかに留美をあしらう。

 ついて来い、大人しくしていれば、わたしはあなたを悪いようにはしないから……。

 一瞬重なった目は留美にそう、物語っていた。

 






/5-3

 彼女の紙が夜風に靡いた。

 フリルのついた上着もふわふわと揺れる。

 空には不気味なまでの満月が、光を反射し、青白く輝いていた。

「ここは――?」

 地上30メートル。 ここは、件のマンションの屋上のようだった。
 貯水槽が横に見える。 どうやって入ってこれたのか、今更気にする事ではないが、
 下へと続く道は閉ざされている。

「もちろん、さっきのマンションの屋上だよ。 ここはさっきより数日前に遡っているからね」

「あれ以上、遡る必要があるわけ?」

「さぁね。 わたしも解らないよ。 だってあなたと関連のある世界しか今は紡げないのだもの」

「なるほど」

 解って来た事がある。
 ここは、やはり、第3者の目からみたあの日である、ということだ。

 少々この娘の説明は語弊の関係上知りすぎているためか、易しい解釈が得がたいのだ。

「ここは、わたしの縁、所縁、その他もろもろを見せてくれる、コンプレックスなのね……。
 にわかに、信じがたいけど」

「こんぷれっくすぅ? 日本人なら、日本語で話してくれないと、困るよ」

 留美の方を振り向くと、肩に手を当てて、膨れっ面で彼女はそうぼやいた。







 
 貪欲の虜となった獣を彷彿させる鋭い瞳を有するその男がマンションの屋上に姿を現したのは
 真夜中だった。

 赤い瞳の彼は軽く喉を震わす程度に笑う。
 ここから見渡せる夜景は少なくてもあまり、綺麗ではない。
 
 ただ、住宅街が近い、ということもあって明かりはそのまま、人のライフラインに直結していた。

 彼は死徒なのだろう。 喉の震えは高鳴る高揚感の前触れに違いない。

「……来たか」

 男は鋭い目を更に細め、後ろを向いた。 黒を基調にした服は同時に翻る。

「相変わらずだな。 藤香様」

 紫のボンテージ風のビニル衣装を身に纏った胸元ははちきれんばかりだ。
 見せ付けるかのような肢体は艶かしかった。

 それにも負けず劣らず、彼女の紙は長いウェーブを描いている。

 目元にかかりそうになる前髪を軽く掻き揚げると、目の前の男と同じく赤い瞳を除かせた。

「ふふっ、どう? ナイトメアくん、その体の調子は?」

「はっ、最高さ。 再形成された箇所の拒絶反応も起こらない。
 おまけに血が、前より多く吸えるようになった」

「それは、半死徒を超えた証よ。 うふっ、慶んでもらえて、嬉しいわ」

 藤香、と名乗る女性は狂のつく科学者である。
 日中は地下深くで睡眠と実験に明け暮れる毎日を送り、夜になると、こうして、自分の”作品”
 達をメンテナンスにくるのだ。

 今日は、ナイトメア、と名乗る彼のメンテナンスと、依頼を持ってやってきた。

「用件は、早く言ってもらいたいな。 俺は早く、人達の血を吸わなければいけないのだ」

 まるで、それが使命、と言わんばかり、ナイトメアは言った。

「見た感じ、異常は見受けられないわね。 あんたも、輸血パックで生きられるようになれば、
 ラクよ。 できるだけ、ああいうことにカロリーは減らしたくないもの」
 
 藤香はポケットから輸血パックをすかさず取り出した。

 ナイトメアはどうしても、コレが好きになれないし、なろうとも思わなかった。

 まるで、フルーツジュースでも飲むかのように、どろっとした血液は藤香の喉を潤す。
 10秒でそれを飲み干した藤香は満足顔だった。

「まぁ、それでも、能力者どもには逆らわないのが身のためよ。 あなたはまだ、下から数えた方が、
 早いくらいのランクの死徒だから――。 いいわ、仕事はね、能力者の救援。
 何でも、恐ろしいくらいに危険な能力者がいるんだって。 直ぐにでも殺さなきゃ、自分らの身の上も
 守れないほどらしいわ」

「くくっ――ははははっ、可笑しいぞ、それ」

「可笑しく、無いは。 ナイトメア。 どの道、力無きものは滅びるのは宿命だった。
 それを抗うためにあなたのような凡庸を超越した死徒が生まれたのだから」

 腕を組んだ藤香の口元が綻んだ。

 ちっとナイトメアは舌打ちする。

それ以上何も言わず、踵を返すと、ナイトメアはビルの屋上から飛び去った――。

「うふっ、どう? 影月。 あいつらが、みーんなあなたの駒だから。
 そう、v−008。 彼は自尊心が強すぎるわね。 ナイトメア、なんて架空の産物の
 名前には相応しくない。 ハキダメのほうがお似合いかしら? アハハハ……」

 





「これと、あたしがどう関係あるわけ?」

 留美は退屈そうにそう、彼女に訴えた。

「あの、ハキダメ、っていうのが、あなたを襲いにいく、らしいわ」

「……無責任ね」

「だって、そうじゃない? 録画したビデオ、くまなく見る人って真面目なんだよ。
 わたしはどちらかって言うと良いところだけみて後はバイバイ」

「それで、これから、どうするの?」

「2倍速でスキップ。 目標は繁華街からちょっと離れた路地裏」

 フリルを揺らし、身を翻した彼女は次第にいい加減、という印象を留美に焼き付けていった。

「ああっ、不本意」

「余計なこと言ってると、本当に迷宮入りさせちゃうよ?」

 がくりっ、留美は深く、肩を下とす。









/6−1

 想像していたよりも、早く、留美は目覚めが良いらしい。

 留美事態の体がここに来てから2度半透明になった。

「ほらっ、急がないと、結論に辿りつけないよー」

「はぁ、はぁ、だって、もう何だか、体、ぼやけてきてるし」

「仕方ないなぁ。 10倍速でいくからね」

 すると、景色が恐ろしいスピードで流れていった。 朝と夜がまとめて来たような錯覚が、留美を襲う。

「ここは――、昨日?」

「昨日、あなたがそう思うのなら、そうなんじゃない?」

 間違えるはずがない。 焼きついてしまった光景は一層に自分に責任を感じさせた。
 矢島の死をこの日、留美は確認したのだ。

「昨日、とか、そういうわけじゃないの。 あなたにとって一番重要な場所。
 全ての意図がここで繋がったみたいだからね」

「――」

 広がる光景は、マンションなんかではない。 広い交差点だった。

 余計な人間はカットされているのか、数人の男女だけがその道を交錯している。

「倉田さん?」

 そこには佐祐理の姿もあった。

 何やら急かされるかのように急ぎ足で今横断歩道を渡った佐祐理、その後ろには……。

「――あいつはっ」

「あっれー?」

「どうしたのっ?」

「ううんっ、倉田さん、だっけ? あの人、こっちの人間じゃないわね。 それと、彼女を追っている
 銀髪の男も」

「そ、それってっ!」

 戸惑う、留美を他所に、彼女は冷静にただ、頷いた。

「あれは、狩人ね。 うまい具合に眠らされたのかもしれない。 その隙に、ってあるんだよ。
 たまーに」

 留美はいても立ってもいられない気持ちもあった。
 それに反発するかのように、自分を抑制する気持ちも働く。

「ここで、殺されちゃったら、言っておくけど、本当に、死んじゃうから」

「……っ!?」

 一言は、留美をまくし立てるのには十分だった。
 留美はだっと、駆け出すと、交差点を横切り、銀髪の男の後を追った。




「以外に、熱血ちゃんだったんだね、あなたって」
 
  

 呆れた……という言葉が似合いそうなほどに冷ややかな表情で彼女は留美の後ろ姿を見つめると、
 どろんっと、その場から消え去った。








 佐祐理が逃げ込んだのは、大きなビルが立ち並ぶ路地裏であった。
 袋小路が、次第に近づいている、とも知らず佐祐理はひたすらに、走る。

  
 気がつけば、自分はここにいた。
 確か、留美に大量の書籍を読ませている間に、いかに、進むか、について自室で考えていたはずだ。

 それから、丁度、おやつ時、ということもありお茶でもいれようかと……。

 
 佐祐理の記憶はそこで無くなっていた。

 やがて、壁際に、佐祐理は追い込まれてしまう。
 
 壁を登ろうと試みたが、ムリ、ソレは明らかである。 しかし、だんだん、銀髪の男は近づいてくる。
 恐怖は扇情されていった。 

「嫌ぁ――」

「倉田さん、このっ!!」

 留美の手が、先か、銀髪の男が先か――。

「「えっ――?」」

 留美では無い。 誰の手も加えることなく、銀髪の男は、2人の目の前で消滅した。


「あ、あれっ――?」

「ふぇ……」

 そして、佐祐理の体は透けていく。 目覚めの時がきたらしい。

 佐祐理の体が完全に消えた、その時、留美の体も、次第に薄れ始めた。

「あなたの世界でも第3者の干渉があったみたい。 ごめんなさい、
 あまり、役に立たなかったみたいね」

「あーっ、どこから湧き出てか、なんて聞かないわ。 ただ。 あなたの名前聴くの忘れてた、け」

「くすっ、知らなくていいわよ。 わたし、名前なんて無いもの。 それよりも、あなたの能力、使い方
 分かったんじゃない?」

「――そうねっ。 解っちゃったわ。 あんなの見せ付けられちゃ」

 顔を顰めながら、留美は言った。
 口元はきゅっと締まる。堪えないと、また、自分を失って泣いてしまいそうだからだ。

「あなたは強いわ。 余計なこと、知らない方が人間は平和だ、ていうけど、
 知らないで話が進むなんて、ウソに決まっているから――道をそれて、こういう
 ふうに、顧みることも大事なんじゃないかな?」

「どうだろうね」

 その辺は留美には検討のつけようが無かった。

 時、既に遅し、だ。 曖昧な返答をすると、すぐに、留美の体は消滅した。

 それは、目覚めに他ならない。

 






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