第24話



ずんっ!

 志貴の体を、強烈な突進が襲った。

 避けられるはずなど無い。 瞬きをする、ほんの暇すら与えられない猪突であった。

 ごぽりっ、口から血液が零れる。

「……。 何だって言うんだよ」

 志貴の声はくぐもりがちで、重々しく、そして苦しげだった。
 それは、秋葉にも疑う余地もない。 結論・・・、このままでは、志貴には成す術も無く、
 ただ、死ぬ。

 それだけだ。

 では、自分は何をすればいい? ヒロイン面をして、この場で突っ立っているなり、相手に睨みを
 利かせるなりすればいいのであろうか?

 否。 それほど、自分は落ちぶれた存在ではない。 ただ、動けない。 懐疑感が、秋葉を取り縛っているから。

 そう、どこか、懐かしい。 だけれど、それは、呪詛でしかないようにすら見える。
 見えない呪縛に縛られ、その詔は自分たち、もっとも、兄である、志貴すら、救う余地を妨げる。

 なんて、煩わしいのだろうか。 その煩雑さ、その行き詰まり。
 はた迷惑も良いところである。

「――。 兄さんっ……」

 悔しさは秋葉の唇に集中した。 噛み千切るくらい、上前歯は秋葉の唇を傷つける。
 つぅ・・・、と垂れる、朱の血、それを、秋葉は舌で舐めとり、ごくりっ、と嚥下した。

 唾液の甘さは、それでも、鉄の苦さを補う事は出来ない。

 もっとも、それすら、秋葉には最上級の命の糧に他ならないのだが。




「――くそっ、秋葉っ」

 志貴はようやく、秋葉の異常に気がついた。
 その目は生を失っているのだ。 生気を吸い取られた、というのが正しい。

 志貴は逸る。 ただ、手元には何も握っていない、シラフの志貴には、目の前の魔獣の討伐は
 圧倒的に重かった。

「……、やれやれ。 君は良く動くなぁ。 足の速さは自慢かい?
 でもね。 生きるためには、それだけじゃ、ダメなんだ。
 外にでよう。 ここじゃ、やはり、俺の庭であっても、君の庭ではない。
 勝手知らぬ他人の庭を、汚せるほど、君は品の無い人間では無いみたいだ」

「な、何を言っているんだ」

 男は踵を返した。 背後はがら空きだ。

 短刀まで、数十センチ。 志貴は急遽に手を伸ばした。

「握ったな。 ならば、ついて来い」

「――早いっ!!」

 志貴の目を釘付けにする、その移動能力。 あの獣は、言葉を解するだけではなく、
 足でも、自分を上回るか――苛まれる。 いろいろなものに。

 それでも、志貴は挑発に乗ることにした。

 乗らねば、家にも帰してもらえ無そうだから……。


 ただ1つ、気になることがある。

「藤香さん、無事ですか?」

「フフッ、あなた、イイわ。 こんな時でも、私なんかの心配をしてくれるなんて、
 何て、紳士なのかしらね」

 相変わらずの胸のボリュームに、志貴は目をそむける。

 当の藤香も目を瞑ったままなので、おあいこだろう。

 志貴は話を続けた。

「あの、立てるんなら、秋葉のこと、お願いできますか」

「無理よ。 あの子は、ありもしない、懐疑感に襲われてるもの。
 結論に達するか、その前に自壊するか・・・。
 それが、あのハキダメ、ナイトメアの能力、夢汚染。
 油断したは。 解毒剤持ってなければ、私も天国に行っちゃっていたもの。
 あっ、地獄かしら?」

「……」

 良く喋る人だな、と志貴は思う。 何を知っている。 何か、教えてくれ。
 切に願いたいのもやまやまだが、相手をませるのも癪だ。

「あと、もう1つ方法があってよ」

「何ですか? それは」

 藤香の口元は確実にほくそえむ。

 
――嫌な予感が……。





「王子様のキッス。 私、あと3分は目、開け無さそうよ。 今ならだーれも、見ては無くてよ?
 
 さぁ、どうぞ、熱いヴェーゼをしてあげて。 あっ、そうそう、舌入れえると、噛むわよ。
 あの娘なら、絶対」

「……」










////// ////// ///////

 秋葉の唇に生暖かい感覚が過ぎる。

 体全体を取り巻く感覚はそれだけで、あっさりと虚脱していった。

 ああ、安心した。

 それと同時に、目が開いた。

「んっ――兄さん?」

「律儀なあなたのお兄さんなら、外よ」

「えっ――?」

 秋葉は自分が壁に横たわっている事に気がつく。

 何が起こった? ……察しもつかないことが起こった、とだけは見当がつくのだが……。

「あなたのお兄さんに感謝しなさいね。 あと、もうじき、あいつが来るわ。
 その前にここを退去しなさい。 あなたは、まだ、惜しいし」

 自分にそう声を掛ける藤香が、秋葉には気に喰わない。
 何事も命令されるのは大嫌いな性格だ。

 その上、志貴のことを知っている、むしろ、先ほどの光景からして、好意を抱いている、という
 不安すら拭えない。 なんて、鬱陶しいのかしら?

 蹴り倒したい気もある。

「行っても良いわよ? ただ、あの窓の向こうは地獄だから。
 死、すら見えない。 生き地獄。 お兄さんは罠にはまってしまった。
 バカだから」

「あなたは、何で止めなかったのかしら?」

「それが、私の任務だからよ」

 藤香の目は開く。

 まるで、秋葉を舐め回す、蛇、そんなイメージをかんじさせる、瞳の色は多分カラーコンタクトだろう。

 ふふっ、と鼻で笑う仕草は頭にくる。

「何様、かしら。 解り易く説明してくださる?」

 秋葉は立ち上がる。 すでに、藤香を始末対象と認知したか、髪の色は朱となっていた。

 ちろっ、藤香は舌を覗かせる。

「簡単ですわ。 影月は、遠野 志貴の力を見出した。
 直視の魔眼。 アレを放置したらどうなるかしらねぇ?」

「――っ!?」

「ご察しの通りよ。 志貴は、人の皮を被った化物。 死を掌る存在」

「やめなさい、そんなこと、したら、兄さんが、兄さんが……」

「自壊することは無いは。 志貴には夢を見ていてもらうから。
 七夜としてね」
 
 秋葉は駆けだした。 急がなければ。 急かす――気持ちと、体がここまで一致したのは久しぶりではないか?
 遅滞は、志貴の喪失を意味する。 もってのほか、志貴を失う事は秋葉の命をも上回る損害であった。

 間に合え――っ、ただ、秋葉は走った。






「――あらっ、斉藤くんじゃない」

「藤香女史か。 元気そうだな」

「……ハンッ、相変わらず感情の片鱗も無いわね。
 私には。 ああ、いいのよ。 私は久瀬側の人間だから」

「しかし、こんなところで、昼寝か?」

「ふんっ、ボケの1つもかませるようになりましたの?」

「そんなことは、どうでもいい。 あんた、俺と来る気は無いか?」

「無いわ。 何度も言わせないで。 あの子を裏切る気なんてないの」

「そうか」

「それと――」

「何だ?」

「私ではなくても、あなたの破損箇所くらい治せるわ。
 月宮 あゆ。 彼女を訪ねなさい」

「住所」

「私の命令に従えば、住処の地図あげちゃうわ」

「なんだ、言ってみろ」

「遠野 秋葉を連れて逃げなさい。 王に勝つには、歩兵では時期が早すぎるわ。
 これは、挟み将棋じゃないのだから」

「――了解。
  ところで、ナイトメアの処分だが」

「いいわよ。 反逆罪で、しょ ぶ ん」

「了解」

 






///// ///// //////

「どこだ――?」

 自分の前に先ほどの魔獣の姿は無かった。
 何て奴だ、自分から引き寄せておいて――。

「何も、犬であるとは、限るまい。 俺が死徒である、という説は無いのかい?」

「・・・。 なるほど」

 ふうっ、と影のように、屋敷の灯りを享受し、ナイトメアは姿を現した。
 
 一体何人の人をその歯で仕留めてきたのであろうか? 歯はどれも、輝きを増している。
 そして、特筆すべきは目の炯炯さ。 そして、紅さ。

 先ほどまで、これほどの殺気を内包していたのか。

 だが、それは、以前、アルクェイドと対峙したときの危機感とは雲泥の差がある。

 これなら、いけるのでは? 安易に志貴は目算した。

「ほぅ。 この姿を前に、平然としていられる人間はお前で3人目だよ」

「……。 死徒だか、吸血鬼だか知らないけど、俺はお前を倒さなくてはいけないみたいだ。
 今日一日を安らかに終えるためにもっ――!!!」

 志貴は跳んだ。

 そして、一閃。
 
 極端な話、ナイトメアは志貴の短刀を一瞬視界から逃してしまった。
 それが仇となる。

「ぐぁっ!?」

 右肩から下、腕をごっそりと、志貴の短刀は奪い去った。
 それも、志貴にしてみれば、直視の魔眼にしてみれば容易い事だ。

「話と違うじゃないか」

「一度も観ないで人を決め付けないでもらいたいね」

「…………」

 デタラメだ。 と、ナイトメアは思った。 自分に伝わっていたのは遠野 志貴というちょっと
 癖のある能力者を捕獲せよ、とのことだ。 それなのに、アイツは自分の腕を、そう右腕から
 下の感覚がついぞ途絶えたのだ。 痛みなどない。
 それは、死んでしまった、というしかない痛み。
 
 かつて藤香が、自分に言ったではないか。 能力者に、あなたは敵わない。 そんなはずは無い。
 そう多寡を括った。

だが、額を過ぎる油汗は拭っても拭ってもとめどない。

「庭、といったな。 ここは、お前の庭ではないし、誰の庭でも無い」

「――来るなっ」

「さっきだって、秋葉の様子、それに藤香さんが後ろに居たから、野蛮な真似はしたくなかっただけだ。
 そもそも、庭、何て存在しない。 あるのは、顕著な力の差だけだよ。 ヴァンパイア」

「そんなはずはない。 自分のいやすい世界が、お前にもあるだろう?」

「……誰しもそうとは、限らないぜ?」

 一歩、志貴が前進する。 それだけでナイトメアは笑う。

「じゃあな」

 志貴は走った。

 左手に握られた短刀は月明かりとも、屋敷の灯りとも解らない光を反射し、紫電の如く志貴の手中で
 舞を為す。

 16。 先ほど、切り捨てた右腕を合わせれば、17に、ナイトメアは分割された。



「兄さん、危ないっ!!!」

「えっ――」

 束の間、すらなく、志貴は背後から、一撃、重い衝撃を受けた。

 何となく、それが鈍器ではないな、というのが志貴にも解った。

 
 おぼろげになってくる目下、秋葉が怒り狂って檻髪を氾濫させているのが見えた。
 とても、綺麗だ。 朱色のラインが、よく見える。

 ・・・。

 次に流れたのは秋葉の口腔からの吐血であったことなど、志貴には知る由も無い。

 睨みを利かせても、圧倒的力差はどうにもこうにも埋め合わせが効かなかった。

 これはご都合で埋め合わせられる世界ではない……。 昔、読み聞かせてもらった童話ならば、
 自分は形勢逆転することもできるのだろうか? 絵空事にしかない、そんな都合の良い話。

 そんなことを思う秋葉の体はぐらりと傾き膝をついた。

「あなた、何者――?」

「君の良く知る人物だ。 知り合いは影月、と僕を呼ぶのだが」

「嘘。 こんな短時間で整形できる人間はいないわ」

「僕の顔、思考、そして命、それらは皆個々自由にして、無限なんだ。
 だから、影月は1人であり、1人出ない。 僕、そう本体である僕を崩さない
 限りは、無駄なんだよ」

「――ふざけるのもいい加減にしなさい」

「減らず口を叩くのも、程々にしてもらいたいな。 虫唾が走るんでねっ」

 秋葉は立ち上がった。

 その姿を哀れむような表情で影月は見据える。

「慈悲もない。 それでいて、愚。 ならば、死しか視えないだろう?
 遠野 秋葉、いや、能力者ども。 付け上がるのも、大概にしたまえ」

「……ならば、俺はとんでもない無慈悲だな」

「っ――何っ!?」

 斉藤の声に影月の視線が一瞬それた。

 その隙に、秋葉は檻髪を影月に畳み込む。

「くっ……」

 影月の左腕に、檻髪はぴたり、と巻きつく。 ただ、触れているだけでも、熱は奪われてしまう。

「この体も、ダメそうだ。 仕方ない。 鞍替え、とするか」

 おもむろに、影月の腕は志貴に延びた。 その頬は僅かに歪む。

「今回の目的はあくまでも、遠野 志貴だ。 久瀬もコレで満足だろう。
 斉藤、あとは任せたぞ」

「―― 了解しました」

「待ちなさいっ!!」

「嫌だね」

 ふっ――、志貴を抱えた影月は、霧消した。

「……嘘 」

 ちらり、と斉藤は地面を見下ろした。 ごろっと、自分が始末するはずだったナイトメアの死体
 が転がっている。 やがて、風化するであろう、死体になど用は無い。

 斉藤は秋葉に目を向けた。
 今にも自分にフッかかろうとする秋葉に斉藤は真摯に感動する。

「退いてくださるかしら?」

 苛立ちを内包している、しかし、何時はちきれてもおかしくない。
 
「やれ、やれ」

 そんな秋葉の後頭部を、あろうことか、斉藤は強く叩く。

「そ、そんな、何時の間に……」

 一撃にして、秋葉うつ伏せに沈んだ。

 実際一番驚いているのは斉藤かも知れない。 自分は影月のことを知り尽くしていた。
 だというのに、あの影月は自分を信頼しきっていたのである。

 また、謎が増えた。 斉藤はなんとなしにそう思う。

 そして、今や、地面に突っ伏している秋葉を拾い上げた。

「さてっ、と月宮 あゆの家へ、向うとするか」

 どうせ、秋葉も今更遠野の屋敷へ帰っても、琥珀や翡翠に合わせる顔がないであろう、
 そんな斉藤の勝手な配慮により、秋葉は祐一の住処へと連れて行かれるのであった。


 また、雨が近づいてくる。

 時期できに、じめじめとする、この季節の雨は、暫くは、より一層陰湿なものになるであろう。
 誰かしらが、そう予見したかも知れない。

 

-第2部遠野家パートfin-

 


あとがき。

 さて、あとは舞と、佐祐理と七瀬を終わらせれば本編はようやく進みます。
 
 わけわからない自己満足なSSですが、生暖かい目で、1つ宜しくお願いしますね(笑


 
 感想はこちらです。

 とっぷ