「……ふぅっ」
 
 零れた息は重くそして、祐一自身の顔も明らかに疲労の色が濃く見えた。

 先日の戦い、影月からの一方的な攻撃、回復速度が人より著しく速くても、あまり、
 報われることの無い、痛みだ。

 今だ、包帯を巻いた腹部が痛々しく、時々未だに染み渡る血は生々しかった。

「神区域――か……、建前、強気に出てしまったが、はっきりいって何の手がかりも無い、
 それに、このざまだ」
 
 自虐と中傷、その当てつけはいつも、自分なんだ、と祐一は呟く。


「空が、青いな。 あそこには、俺の求むべき答えがある、のだろうか?」

 そっと、身を動かすと、ソファーに腰掛ける。 ガラン、とした部屋にはあゆはいない。
 理由は簡単だ。 栞のところに遊びに行った、いや、祐一が行かせた。

 本当は、一日中寝ているつもりだったのだが、予想外の電話、
 秘密裏で引かれた常時オフライン、非常時のみ回線を開くいわく付きの改造コード、
 まがいなソレがけたたましく鳴り響いて、佐祐理からのである、と判った。

 舞に電話番号を聞いていて、直ぐにでも掛けられる状態にいたのに掛けなかったのを、
 勿論、佐祐理は知らない。 怪我のせい、祐一はそう決め付けた。

 とにかく、これで、誰からの邪魔される事は無いだろう。
 ゆっくりと傷を癒す事が出来る。

――それでは、お休み。

 数秒、祐一は眠りに入った。




・・・はずだった。








 すぐに阻害されたのだ。 もう、人権侵害で訴えたくなるほど、不法侵入者の来訪。

 その上、予想外の人物だ。 付け加えれば、祐一は上半身包帯巻きとはいえ素っ裸なのだ。

ちょっと場の空気が読めず、タダ解る事はずしんと重いだけ。

 辟易と、祐一は自分の目上を見上げた。

「ノックしても、応答が無いので、入ってきてしまいました。 それにしても、
 上着くらい着るものではありませんか? 相沢くん」



「……どうして、あんたが、俺の家を」

「ええっ、アルクェイドから聞きました。 昨日、代行者として、死闘をした後に」

「……」

 その笑みを見るに、その呆れた顔を見るに、今までとは違う一面を感じざるは得ない。
 
 眼鏡を一度、整え、ふっと、笑うと、前髪がゆれ、シャンプーの香りがした。

 市販の一番有名なリンスのいらない、アレの匂いだ、と祐一は思う。
 ソレと同時に、買っちゃダメな奴じゃなかったっけ? とも思った。

 気がつけば、自分に向き合うようにして、ソファーに座る、そんな近距離で、シエルは
 笑みを零していた。

「思わず、わが目を疑いましたよ。 相沢 祐一の脆い部分が、あんなにあったなんて。
 それになんです? あの台詞。 不似合いだったらありゃしませんね」

――っ!!!

「……あんた、いつから居たんだよ」

「あんた、じゃありません、シエル、もしくは、先輩、そう呼びなさい」


「先輩、ねぇ。 随分、年の離れた先輩だこと。 はいはい、で、
 何のようだ? シエルさん?」

 燐と祐一は対応した。

「一時停戦の申し入れです」

「俺は最初からシエルさんに構う気さらさらないのだが……」

「こっちは大有りなんです。 仮にあなたが本調子でなかったとしても」

「……」

「取り合えず、ここじゃ、ムードの欠片もありません。 そこの喫茶でお話しませんか?」

 険しい顔をする祐一は冗談じゃない、と思った。

 何で、あまり、知りもしない人間と喫茶店に入ってあれこれしなければならない。
 それにどうせこの辺なら相場、百花屋だろう。

 あの店にはあまり良い思い出がないのだ。

 思い切り、賭け事で負けて名雪にイチゴサンデーを奢り続けた、という懐かしい思い出。
 因みに、賭けの勝率は1割6分程度であった。

 だから断ろう、断固祐一は決心した。

「来てくれない、と? それは悲しいですねぇ」

 妙に察しがいいシエルは、そういいながら、着込んでいたシャツの襟元を直す。

「北川だけでは、明らかに手不足なんです。 下手するとこの辺り一面、
 血の海に成りえます、それでも、いいと?
 
 もちろん、報酬はつけます。 あなたの知りたがっている情報の断片、
 上から、交渉次第では、情報漏れを許す、と」

「あんた、いや、教会は、俺をかまかける気か?」

「……信じてもらえるか、は別としましょうか。 でもですね、成功報酬は、
 さらに素敵ですよ。 なんと、概念武装をもれなく、プレゼント。
 コーティングは私にお任せください。 まぁ、見栄えはこんなものでどうでしょう」

 と、シエルが突き出したのは、線の羅列、何かの模型図のようだった。
 一件、スカッドランチャーのようにも見える……。

 もてるかよ、こんなの、と肉弾戦メインの祐一はぼそり、呟く。

「あー、ようするに、ギブ&テイク、と? これ、もう少し軽くできるか?
 俺の腕力増強用に使いたいんだが」

「――それは! 私の図版が気に食わないと!?」

「勿論」

「むっ、解りました。善処します」

 何やら、口を噛みつつ、シエルは言う。
 祐一は一枚取った気分になった。

「それじゃ、行くとするか。 あっ、割り勘だぞ。 だから、飲み物以外、2人で
 食えるもの頼めよ」

「はぁ、しかたありませんねぇ。 それじゃ、カレーしかないじゃないですか」



「……そうか?」















/////// / ///// //////

 大樹が日を隠そうと、躍起になった結果生まれたのが、この無法世界だった。

 生命の理すら、ここでは、通用しない。 故にこの世界で一番理知で、一番無力な存在、
 人は、困難を来たすのだ。

 樹海――ここは、人が人でいられなくなる場所。 





 幸先悪い。

 舞は不吉なものを感じ取っていた。

 そもそも、免れざる客。 そして、それすらも、抗いの試練となる。

 磁場が乱れること、数時間、舞と留美は道を失った。
 もう、どうやっても、キロにはつけない、……とは思ってもいないものの、
 今日中に出なければ、確実に事態は悪化することだろう。

 ここは、ある意味、ヤバイ場所なのだ。

 そう、自分たちと同じように、迷い込み死した魂の躯が、群がっていて、
 非常さを込め、人々も、自殺地帯とまで呼ぶほどに。

 ましてや、ここまで、5体もの腐乱死体を見てきた2人にしてみれば、なおさらの事だろう。

 だから、舞は自分たちまで、持っていかれないよう、足早になった。


 日が差さない、陰湿さは、やはり、毒である。

 視界を害されている事にすら気がつかず、虎視眈々と自分たちが狙われている事に、
 気がつかず、2人は海を目指した。





 
 目指すべき場所は、思ったよりも、深遠だろうか?

 道さえ踏み外さなければ、正味1時間弱。 童話の世界では、パンを、
 賢き賢者は輝く石を置き、自分たちを軌跡を残して行く――。

 それを、用意周到というが、道すら完全に覚えていないので、まったく役立たず、
 深みにはまる一方だった。

 だのに、2人の前には、海の蜃気楼が見えては消える。

「さっきから、何度、見たかしら……」

 苛立たしげに、留美はそう吐き捨てた。 歩く海、と勝手に名づけてみると、
 納得はいく。 だが、その不条理さ加減にはほとほと、眩暈がしてきた。

「……黙って」

「何よ、仏頂面。 ここで、安心していい、っていったのは、あなたでしょ!?」

「――黙って、と言ってる」

「えっ――」

 ガサッ……。

 ただならぬ緊張感、雑木のざわめく音……。
 
「うわっ……」

 力任せに、留美の頭は地面に叩きつけられる。
 一方の舞は、余裕で頭身低く構えている。

「……」

「今、不条理を感じたは」

「……」

「何か喋ってよ、川澄さん」

「……」

「実は、わたし、乙女を目指してたの、それでね、……」

「……黙って、何度言えば解る?」

「・・・ハイ」



 ガサッ!!!!



「っ――」

 留美は目を疑わざる得ない状況へと連行された。

 目を見張る。

 自分たちの目元を、1本の足元をぬらした木が走っていたのだから。
 その木の幹には、確かに”D”と描かれていた。




「何、何よ、あれぇ」

「マングローブ」

「って、あの、熱帯に生えてる、あの木が、歩行するわけ?」

「……と、冬花が」

「――」

「――」

 ああっ、何ていうかね、川澄さんって、変な人だな、と留美は深く納得した。

 マングローブは、少なくても、針葉樹林ではないだろう。

 悲しい事に、それが、今現在の留美の素朴なツッコミである。




「アレを、追えばいいのかしら?」

「……」

 コクリッ、と無言で舞は頷いた、かと思うと、すでに歩き出している。
 
「あっ、待ちなさいよ――!」

 取り合えず、はぐれたら、腐乱死体の仲間入りだ、それだけは嫌だ。

 

 ふと、見上げると、頭上を白い靄が走ったのが見えた。
 でも、光はまばらにしか差さない。

「……上を見ない方がいい。 形になり損ねた奴等が蠢いているから」

「冗談は、ここを出てからにしてくれない?」

 留美の背に鳥肌が走り、かえってそれが、生きた刺激だな、と留美は痛感した。

 
 歩く針葉樹林が停止したのは、同じく、動く、小さな湖のど真ん中であった、
 とだけ、記しておく。 
 





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 とっぷ