第28話




 水打ち際は心地よい温度だった。

 チャプンッ、と片足を侵入させると、えもいわれぬ心地よさ。
 まさに、桃源郷。 何にも変えがたいその温度は、多分、羊水の温度に似ているのだ。

 生まれてくる前、包まれていた水。

 もっとも、人が愛してやまない――それが、この海と称する小さな湖には存在した。


 自慢できるほど、大きくは無い乳房を隠し、留美はタオルケットぐらい持ってくればよかった、
 とつくづく思う。

 傍目からみても、スタイルが良すぎる舞、あれはいじめだ。

 熱いのか? それとも嫌がらせ!? そんな気持ちを過ぎらせ留美は素肌で、
 海へと潜る。

 潮の匂いなどしない。 ただ、前進を軽いぬめりのようなものが幾度となく過ぎるだけだった。
 これは、何であろうか? 自分に、留美は問いかける。

 ここが、羊水である、とは断定できない。 ただ、何となく理解できそうな気がする……。

 このぬめりは、知識なのでは、と。



「留美。 冥黙して、目を瞑って。 あまり考えると、膨大な存在に飲み込まれてしまうから」

「えっ……うん」

 片言に、留美はそう答えた。

 この心地よさから、雑念を振り払え、と・・・?
 まるで、インシュリン。 心地よさの振幅はとめどない、だというのに、やめろ、と??

 あり得ない。

「……その水は、あなたから、何かを代償にして、あなたの存在定義(能力)を開花させうる。
 と、冬花は言ってた」

「――何、か?」

 ・・・・・・。

 留美は何故か、意思で深く、それに従おうと思った。

 目をゆっくりと閉じ、思いを一時的に遮断する。 何もなし、の状態を構築。
 
 不思議なことに、アドレナリンの相乗性はあっさりと、藻屑となり、無くなった。


――川澄さんの話、で一度、ゾクッ、としたことを思い出す。
  代償――とは、多分、自分の一番優しい部分。 かえって反発心が、あたしに、
  考える、冷静さを与え・・・。

 温かさの中に、一度、ピシッ、と亀裂が走る。

 留美は、背筋に冷たいものを覚えた。

「…………」

 そして、急激に体内温度が沸点に達したのを自覚。
 古い血が、燃やし尽くされ、新しい血―能力者―としての脈が血が体内を浸透……。

 錯覚か?

「……留美、もう大丈夫。 目を開けて、現実を見て」

「――っ」

 海は枯れ果ててる。 木ももはや朽ちている。

 代わりに、赤い色の乾いたペンキのような血のりがかつてあった海の歪に、
 べったりと塗りたくられていた。

 まだ、ほんわか、と温かい。

「……留美のために、生命の絆は、1つ犠牲になる」

「えっ――、あの?」

「摂理――弱肉強食のサイクルの、常識だから、気にしないで良い」

「何、ねぇ、何が起こったわけ? あたしがうたた寝してる間!!」

「……留美の能力が完全に開花した、それだけ」

「もう、良いわ。だけど……この木と海はどうなるの」

「放っておけば、いずれ芽吹くから、あまり気負いしないで」

 数秒、沈黙した留美はコクリッ、と頷く。
 そして、犠牲となった海と木に感謝した。

 すぐに、着替えて、ここを出なければ――。

 そして、ふっと湧き上がる不安。
 帰路の案じ。

 留美は急いで、袖を通すと、舞の方を振り返った。

 相変わらず、無表情の舞の眉間が、少しだけ、険しくなっているのが解る。

「どうしたの?」
 
「……彼等は、留美を帰したくないみたい。 だから、戦わないといけない」

 ボソリと、一度だけ舞は呟き、即座に携えた剣に手を伸ばした。









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 前進を撫でくるように、その存在は姿を現した。

 先に見た、白い靄にもにた、人型。 より、濃くなって、固形にすらみえる、
 その集合体は、ふふっ、と口を開く。

 見えたのは、向かいの大木だった。

「……」

 思わず、舞は舌打ちした。

 隙はある。 隙だらけと言っても良い。 人間であったのなら、
 何度、臓腑を抉り、その首筋に刃を立てられようか……。

 舞は思わず、自嘲した。

「川澄さん」

「存在しない」

「えっ――」

――何、言ってるの?

 そう、続く。

「……あいつは、姿が存在しない。 なのに、留美の生まれたての寄り代を狙おうとしている」

 ……。

 訳が、わからないのは、もう慣れた。
 自分は無知だから、それは、仕方のないことで、もう、これから学んで行くのが望ましい。
 体が勝手に覚えてくれると、なお良かった。

 留美は訝しげな視線を靄に投げかかけた。

 可笑しい。

 この靄は恐らく、残留思念の凝固体なのだ。
 死を望むもの、そして、自分たちのように能力を開花させようとくる者、
 あと、死体の調査隊。 それくらいしか、ここには来ないのが定番である。

 大体において、ここに来て、生に執着する、その納豆のようなぬめり具合、
 甚だ可笑しい。

 もしくは、自分が超越した存在である、とでも誤解しているのであろうか……?

「……」

 概念武装で塗り固められた舞の剣が、光の差さない、薄暗い森で、艶かしく光る。

「――」

 
 踏み込んでくるのは、靄の方が歴然とし、早かった。

 舞の剣は虚しく宙を撫でる。


 そもそも、靄は、舞になど関心を持っていない。 対象はその先だ。

 留美目掛け、邁進する靄は、手を伸ばした。
 グワンッ、とまるでラバーのように、伸縮自在、重力無視の圧搾攻撃が留美の喉元に絡みつく。

 蔦でもまかれたかのように、首にはざらざらした感触が即座、伝わった。

「グッ……!!」

 留美の首筋を締め付ける腕は、野太く、大木のようだ。
 それに締め付けられるのは、たかが、人生の半分を平々凡々と生きてきた可憐な少女。

 華を毟るかのように、その断続的締め付けは続いた。

 カハッ……留美の唾液が頬をツたる、涙も。


「……離す!」

 舞の斬撃が、紫電の如く背を裂いた。

「――そんなっ」

 斬った。 絶対にそれは確かだ。 だが、目を疑わざる得ない。

 靄は、決して、苦痛すら見せず、留美の首を未だに締め付けているのだ。


 血の流れが儘ならず、留美の顔色はすこぶる、色を変えていく。

 保とうとさえしなければ、死んでいるのだ。

「……”まい”」

 

――待っていた。

「っ!?」

 常のように、黒い靄となる”まい”は靄へと絡みつく。

 だが、靄は一向に黒く染まる事は無い。 寧ろ、黒が、白に吸収された。
 ――バサリッ。

「けほっ、けほっ――」



「……あなた、何物?」

 舞は”まい”が消された、という事実にも何の同様も示さず、毅然と靄に立ちはだかった。

『お前たちは、常に監視されている、ということを忘れない事だ……。
 クククッ。 川澄 舞の能力、確かに我がモノとしたぞ』

「はぁ――はぁ、だから、何なのよ。あなたは」

 ようやく立ち上がった留美は問う。
 それを見下げ、豪胆な仕草で、佇む靄はクククッ……と抱腹の仕草をした。

『俺は、追求者、プレイス。 すっからかんの部屋さ』

「……人間?」

『そうだ、お前等と同じ、人間だよ。 俺は、完璧だ。このテロメアは、能力の賜物。
 先天性だけが、優れている、なんて、戯言だ。
 足りなければ、奪えば良い。 全て奪えばな。 事足りるんだよ』

 舞はキッとプレイスを睨みつけ、切りかかる。

 もっとも、それが光明になるはずが無かった。



 その不条理さは、どこから生まれたか。
 片方だけが、力を持て余す。 木偶人形のように、舞は捻り潰され、両肩を脱臼させられたのは、
 確実であった。

 そして、その顔面は、何の干渉すら受けさせてもらえず、地面へと鋭く叩きつけられた。

 どすん、と重い音がする。


「――」

 ただ、留美にできることは、これ1つしか無かった。

 
 留美の拳は、プレイスの体を通過する。

 ピシャリ、血が、留美の、冷然とした目元にも飛び散った。

『フンッ、そうか。 道理だな。 追求者たちがお前を欲する理由が解った。
 だが、いらない。 生憎、俺は個美なのでな。
 まるで、時限爆弾だよ。 実に、面白い――』

「大人しく、この場から立ち去ろう。 そして、暫く床に就く。
 そう、プレイスは重々しくはき捨てた。
 それは、それは、悔しそうに」

 靄が激しくぶれ、次第に存在が薄れて行く。

 その間、僅かに漏れた”まい”であろう粒子が舞の体内へと戻っていった。

『大人しく、この場から立ち去ろう。 そして、暫く床に就く――』

 そう、重々しくかつ悔しそうにはき捨てると、プレイスは諸手を上げたまま、消失した。



「……はぁっ」

 血まみれの舞は痛々しすぎた。

 だが、気絶している。 脈は元気に動いているのだから、問題は無いだろう。

 
 よいしょ、留美は気絶したままの舞を担ぎつつ、無策に歩き出した。




 どういうわけか、夕方前には、樹海を脱する事に成功する。

 まるで、かけられた魔法が解けたかのように。 
 


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 とっぷ