「図に乗るな」

 祐一の右手はスナップを効かせ、アルクェイドの鼻っ面の前で止まる。

「……ていっ」

 軽い音ともに、アルクェイドの体は後ろに反れた。
 それくらい、祐一のはじきは、強烈だ。 何せ、僅かであるが、聖刻を腕力に転換し、
 人間ならば、鼻先が爆ぜるような一撃だったのだから。

「な、何するのよ」

「だいたいな、いらん心配するな。 約束は破らないからな。
 ――ったく」

「あっ」

 祐一は軽く足取りで身を翻した。
 
「心配してくれる、なんて大分進歩したな、お前。 人と違うのは、年齢の永劫さ、だけだろが。
 だがな、覚えとけ。 心配っていうのは、時に双方の足かせになるし、
 とても、……えーと、もどかしいものなんだ。
 余計な事とは言わないが、現にそうだからな。 だが、約束を守って欲しかったら、俺の負担を軽くする、
 とかもっと前向きに考えろ。 漸次、ではだめなんだ。 こういうのの結論はな」

「解る訳ないじゃない、そんなこと急に言われても、うん、解らないわ」

「解れよ」

 祐一の足が、一歩一歩とアルクェイドから遠ざかっていった。

 なんだか、今日の祐一はやけによく喋るな、とアルクェイドは思う。
 人は何かを理解した時、そのはけ口を、求める。 それが、性交であったり、食事であったり、
 今のような文句のような独りよがりなお喋りだったり、とするのだろう。

 祐一の言っている事は一般論として、決して正しくない。
 横暴だ。 そして、いつも、不器用だった。

 だから、語尾で不機嫌さを表しつつ、歩みはいつもよりよっぽどゆっくりな祐一にアルクェイドが追いつくのは、
 とても簡単なことなのだ。

 だが、そうはしない。 そうしてはいけない、という暗示にもにたものが、アルクェイドにも芽生えていた。
 こういう複雑なこと、昔は考えた事無かった、と心象はとても焦燥気味だ。

 捲くし立てるかのような胸の高鳴りは、どこか、期待と不安にすらおびており、まだ、本人の解釈では、
 どうにも意味合いがわかり辛い。
 
 一度、軽く背伸びをし、アルクェイドは決して見失う事のない祐一の後姿を生涯に無いくらいの、
 非常にゆっくりな歩調で歩いた。






      第30話





 その時、潤は都心から大分離れた、避暑地に電車から降り立ったところだった。

 どういうわけか、車内で大仰なくしゃみをし、それが、連れの香里にかかってしまったのはなんというか、
 不幸の根源のような可哀想さ按配である。

 原因は言わずもがな。

 香里に張り手をされた頬が今だヒリヒリするのか、頬を押えつつ、笑みを崩さない。
 北川は化粧室に入った香里を待っていた。

「――、グスンッ、どうして、勤労モノには労いはないのだろう。
 あぁ、なんて神は不条理なのか……なんちゃって」

 懐から、手際よく1つ、煙草を取り出すと、それと同じ動作で、凝った彫りが施された銀製のジッポーに灯がともる。

 心地よい脳内麻薬が頭をぼうっとさせる……つけた火はちりちりと煙草の端を赤く染めるのと時間さで、
 潤の口元からは乳白色の煙が排出された。 はぁー、と新鮮な避暑地の空気が、煙草の味と絡み合い、
 至福の享楽主義の趣すら、潤に与えた。

「……、しかし、遅すぎだな、美坂はぁー、まぁ、俺も髪を整えるのには時間をかけているから、
 理由はおのずと頷けるんだけどな。 化粧直し――何だか花嫁みたいだ……。
 はっ、まさか」

「……まさか、何?」

 じとー、と張り付くような視線が潤の後頭部に突き刺さった。
 これで、夢時間は終了、されど、今の潤にとってはこれほどにない夢時間だ。
 現実はそうも甘くもないし、うまく行くとは、これっぽっちも思っていない。 それでも、潤は満足、
 とても、健気なのだった。

「まったく、偶然よね。 仕事でこっちの方に来ることになった新幹線の隣で寝てるのが、
 北川くんでした、なんて、天の配剤にかけられた気分よ」

 そういう香里の視線は一向に訝しさを失わない。 疑問視が消えない証拠だろうか?
 そもそも、香里とて、良い仕事がある、と聞きつけなければこんな避暑地に来る柄では無い。

 一度、仕事で海外に飛んだ際、依頼人に誘われたのがプライベートのヌーディスコビーチだった、
 という話がある。
 その時、殺気と共に放った”あなた、殺されたいの?”という言葉は日本語であるにもかかわらず、
 依頼人を閉口させるは愚か、甲斐性なしが無くなり、正妻からたんまりと賄賂を頂いた事は香里にとって、
 今でも忘れられないエピソードだ。
 
 香里の仕事は、表向きには、ブローカーらしいが、正式には不明。 教会とも繋がりがあるようだが、
 仕事を一見の付き合い、という一度きりのためか、あまり深くは交わらない。

 しかし、大金が動いている、ということだけは確からしい。
そのなかでも、プライベートビーチ事件の報酬は彼女の人生至上、最高額をマークしている、
 というのも、彼女のよき思い出と成った要因だろう。


 香里は、申し訳無さそうな、弱弱しい子犬のような顔を見せる大の大人である潤が可笑しく、
 くすっとようやく笑みを見せた。

「北川くんにそんな能力があるとは信じられないし、いいわ。 今回は許してあげる。
 でも、仕事先までのタクシー代くらい払ってもらおうかしら?」

 はっとして北川は顔を上げる。

 その顔はより一層困惑の色を見せて、さらには焦りすら感じ取れた。

 その証拠に大袈裟に手を振りまわし、少々あらかったのか煙草のカスがぽとりっと地面に、落ちた。

「ああ、あのさ、美坂。 俺、昼ごはん奢るよ! だから、そのー」

「駅弁って、たまに食べると美味しいのよね」

 香里は、駅の中で、釜飯やら、海鮮の乗った弁当やらを買いこんでは、美味しそうに一人食べていたのを、
 北川は忘れていた。 その時は結構、食べるなぁ、とただただ感心したのをようやく思い出す。

「それじゃ、イチゴサンデーなんてどうだ?」

「あたしを、名雪と一緒にしないでちょうだい」

 やや、眉を吊り上げて香里は言った。

「……だって、ここからタクシーっていったら、それに大体、どこに行くんだかも知らないし」

「フフッ、そういう北川くんはどこに行くのかしら?」

「ぐっ――」

「はぁ、北川くん、お互い秘密なことくらいあるわけね。 どうせ、あなたも仕事なんでしょう。
 こんなところに遊びに来るような柄じゃないし」

「やれやれ、そういうことだなぁ。 美坂、それじゃ、ここで分かれようぜ。
 帰ったら電話するから」

「栞しかいないわよ。 帰る日時なんて解らないわ、そうね、北川くん、携帯持ってるかしら」

「えっ、ああ、滅多に使わないけどな」

 といって取り出したのは数年前の型のスタンダード式の携帯電話だった。
 メール機能はついているか、などといういう憶測をしながら、香里はむんずと潤の手から、
 携帯を奪い去り、ちゃっちゃとボタンをいじくってみる。

「登録件数1件。 シエルさんのだけ、……北川くん、寂しすぎるわ」

「そ、そうかな、あはは――だがなぁ、あまり、携帯なんて必要なかったし」

 実のところ、北川の携帯はシエルに強制的に持たされた旧シエル使用のものだ。
 本当は折りたたみなどもあったのだが、どれでもいい、とあみだの末、潤はこれを選んだ。

 だから携帯がどうとか、ということには無頓着。 最低限のことはシエルに指導されているだけに、
 それなりに扱えるのだが……、使用価値は希少だった。


 そんな携帯に香里は手馴れた指先で、ぽんぽんとボタンを押していた。

「はい」

「ん、はいって言われても、わからないんだけど」

「もう、リスト観てみなさいよ。 あたしのアドレス入れておいたわ」

「えっ――」

「何、とぼけた顔してるんだか」

 と、軽く息をつくと、香里は微笑んだ。

 つられて笑う潤の顔ときたら、にやけているのを押えるのが必死という具合、それもそのはず、
 香里ラヴなのだ、潤は。

「い、いいのか!?」

「いいわ。 でも、そっちからは絶対掛けてこないでね。 そうしていれば、
 そうね、明日の夜にでも一度確認にでもかけてあげても良いわ」

「うへっ……と、すまない。 まぁ、期待しないで待っているさ!!!!」

「本当に期待しない方がいいわよ」

 どことなく鼻で笑うような仕草をした後、香里はタクシーへと歩を進めた。

「それじゃ、北川くん、またね」

「あ、ああっ!またな!!」

 一度だけ振り向いた香里はもう一度やや引き気味だった。

 
 それでも、潤は良いと思う。

 期待していいのだろうか? 俺は、期待して良いのか!?
 
 香里にとっては挨拶のようなものなのだが、その衝撃は潤には絶大である。
 夢をみるのは、誰しもに与えられた自由だから、文句も言われない。

「……ふぅ」

 それが、切なくなるのは何故か、と潤には答えがわかっている分つらいのだ。
 仕事がややこしくなりつつある。

 今頃、自分が浮かれているという最中でも、相沢が狩りだされたり、誰かが、自分の知らないところで、
 そいつの被害にあっている。

 正義もの気取りはないし、寧ろ存在的には俺はマイナスだ。
 
 埋葬機関、と人は呼ぶ。 その第4位をまかされた以上、自分には偽装と真実があまりにも儚く、
 そして必要なものなのだ。

 今の俺はどうだった。

 
 それは、自分にも解らない、と潤は思った。



 



////// ////// ///////


 エンジンの音は路地裏に木霊した。

 次第にその音は小さくなり、やがてか細くなり消える。
 ヘルメットを外した斉藤は軽く、髪を揺らす――すると、ずきりっ、と腹部に電撃が走った。

「くぅ……」

「――無様ね」

「はぁ……お嬢様お起きデスか」

 脂汗でじっとりとした顔、それでも無理して笑った笑顔に、秋葉は返す言葉を持ち合わせてはいない。
 もっとも、その顔に同情を寄せるような人間でもない。
 志貴を置いて、自分を拉致した剃刀色の目をして男、斉藤に、恨みにも似た感情を覚えている秋葉だ。

 今にでも、その怒りの向けどころを求めているくらいに腹立たしい。

 だが、向けるには斉藤はあまりにも傷つきすぎていた。
 手を下せば本当に数瞬のうちに消し去れそうなくらいに弱弱しい。

「腹腔を抉られているわ。 ――あなた、人間?」

 ハラワタではなく、むき出しのチューブが覗く斉藤の腹腔を見て、秋葉は怪訝な目でみつめた。

「ふぅ、そりゃ、僕はにんげんジャ無いサ。 でもね、ようやく開放されたのに、
 これじゃ虚しいヨ。 だから、修理を頼むことにするのさ」

「修理? 誰に?」

「月宮 あゆ。 この界隈では知らない人のいない一角をになってるラシイ」

「……」

 あの、おどおどとして、人見知りでもしそうな少女が、? 甚だ信じられない話だ。
 胡乱げに秋葉は顎のあたりに拳骨をあて、考えてみる。

 やはり、信じられない。

「そんなのどこかの悪い悪戯に決まっているじゃないの。 そんなことよりも私はなんで兄さんが、
 影月に拉致されたのか、のほうがよっぽど知りたいわ。 教えなさい」

「カノンだよ」

「えっ?」

「規律サ。 遠野 志貴はループの源河に戻った、それだけじゃないカ」

「――」

 秋葉には斉藤が言わんとしていることを理解するのは容易だった。

 そもそも、志貴は遠野姓では無い。 養子だった。
 その間に色々あり、今の立ち位置に落ち着いたのだか、どうだろうか、
 直視の魔眼という稀な能力を有しているのだ。 自分の檻髪と同じように……。

 源河に帰す。 つまり、本来の流れの源に戻るということだろうか?

 理解する、ということは時に残酷だ。
 秋葉の背筋をぞわりっと、季節に似合わない冷たい風が突き抜けた。

「どうして、どうしてそれを知っていてっ」

 秋葉は斉藤の胸倉を掴み、糾弾する。
 ちらり、とだけ斉藤は視線を地面に逸らした。

「理由――身売りに決まってるだろう。 誰だって自分が大事だからね」


 あたかも、銃弾がまともに当たったかのように、斉藤の肩の肉は弾けた。

 秋葉の檻髪も、また朱を帯びて戦慄いている。
 その目は極限までつりあがり、歯もぎりっ、と一度かみ合わさる音がした。

「――そうだろうっ。 そうでなきゃな」

 望むところ、といった具合に、怒りの具現とかした秋葉の表情に見向きもせずに斉藤は飛ぶ。

 その手足に填められた金属具は日差しに反射し、陰影を荒く反映した。

「はぁっ!!」

 ダンッ! まるで拮抗、まるで相殺。
 斉藤の一網打尽の跳躍により威力を増した蹴りを秋葉は檻髪で、受け流そうとした。
 だが、そう容易ではなかった。
 鉄鋼のように硬く鞭のようにしなやかな鉄線、そんな朱のラインと斉藤は衝突したのだ。

 秋葉の体は必然的に後退、斉藤も、宙で回転し、転がるようにして着地を余儀なくされた。

 秋葉は、間を置かずして、走り出す。 獅子舞ではないが、身をかがめたその仕草はそれに酷似していた。
 もっとも頭など振ってはいないか、秋葉の意志に順ずるかのように、髪は飼いならされた獣が如く、
 躍動する。 避ける間など無かった。
 斉藤に抵抗の余地は無く、易々、右腕を犠牲にする、という手段で前へ足をのめりこませる。
 
 斉藤は駆け出した。

 兆弾の如く、壁を蹴り、三角蹴りの要領で秋葉の上についた斉藤は、今度は見失わない。
 まるで踵を落とすかのように騎乗でもするかのように、足を屈させ、秋葉の肩目掛けて落下した。

 予想外、というのだろう。 秋葉の腕が、斉藤のその踵を容赦なく掴んだのはそんな矢先だったのだから。

 秋葉の表情は、冷笑へと変わる。

「あなたは、私のことを風でも撫でるかのようにしか理解していなかったのね。
 私が、檻髪だけの存在だけと思って!?」

 そう喋る間にも、檻髪ではなく、秋葉の腕から熱がこみ上げる――否、斉藤の熱が奪われる。

 それが、略奪。 遠野 秋葉の能力に他ならないのだった。

 ビクンッ、腹腔のこともある。 とっくに許容量をオーバーした満身創痍な体がついに悲鳴をあげた。
 ――限界だ。

 ――もう、支えきれない。

 ――……。

 斉藤の踵の骨子が崩れて行く音が響く。
 秋葉は、そのままの勢いで、斉藤を地面へと叩きつけた。

 本来ならば、ここで、永劫の沈黙を与えたいのだが……やめておく。

「……いつまで、隠れているのかしら。 性質が悪いわよ」

「……う、うん」

 なぜなら、壁際でこちらをちらちらと隠れては見やる、あゆの気配に気がついたから。

 申し訳無さそうにあゆは姿を現す。 すると否や、斉藤の方へ駆け寄った。

「ドール、じゃないか」

 くいっ、斉藤の頭を自分の膝にあゆは乗せた。

「……何をしているのかしら」

「うぐぅ、そんな目で見ないでよ。 こーすると、この子達は凄く落ち着くんだ。
 だから、少しだけ落ち着かせてあげる。 そうしないと、修理する時、恐がるからね」

「・・・、そんなこと」

「この子たちは、人となんら変わらないよ。 血が通った生き物なんだから、
 思考が異なれば、臆病にだってなる。 それに、この子は疲れきっているよ・・・。
 昨日にでも、いろんなことがあったのだろうね」

「――」

「さっ、ここじゃ、この子を直せないよ。 家に入ろう。 そこなら応急処置くらいできるから」

 そして、あゆは申し訳無さそうに運ぶの手伝ってと付け足した。

――この前とは明らかに、何かが違う。

 今、殺そうと思った斉藤の肩を担ぐ、なんて、何て可笑しい事をしているのだ、
 と複雑な気分も相まって、祐一が帰ってくるまで、秋葉の顔は強ばったままであった。
 



 



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