遥か地下を脈々と汚水は流れていた。

 赤茶けた関節部位を除けば、この一帯はねずみ色の水で満たされている。

 都市排水の流れは思いのほか緩やかで、時折流れ込む洗剤の気泡には鮮やかさすら感じられる。
――無論、それらはまやかしで、有害物質に他ならないのだが。


 あえて、その水を掻き分けて歩く男がいた。
 ぼさぼさの髪はごまのように白黒、そして、目は血走っている。
 まるで海岸線を延々と歩いたかのような日焼けと髪のぱさつきはこの下水ではありえないことだ。

 だが、彼はその姿を好んだ。
 あがく人の姿とはどこかずさんで、それでいて、情けない。
 そんな愚かしさすら醸し出す彼はその界隈では窮鼠と呼ばれる今はなき、
 古今に散らばった特殊集団ギルドの最終末裔というわけである。

 誇りなど彼らには存在しない――いや、かつては存在したのかもしれないが、
 そんな馳せる思いは当に消え失せた。


 自分は脆弱で、矮小。無価値な非営利的な立ち居地なのだ。
 しかれた境界に抗うほど、窮鼠、という男はバカではない。否、寧ろ彼は賢い。
 自己の繁殖方法を体内、体外の秩序に反して、女性というカテゴリーすら犯さず、
 そう彼一人で何もかも可能にした。

 ……実際、今の彼もこの場で一人、というわけではないのだ。


 後方に、彼の遺伝子を分けた同質にして、異質の変異体たちが連なっていた。
 異質――その言葉に彼の分子たちは誇りすら感じる。

 そして窮鼠を尊く思う。

 分子の髪はそれぞれ色が違う、形もみな違う。
 ただ三原色にのっとり、その色の配色も一定の規律を持っていた。
 
 こういう律儀さすら彼、窮鼠には法則性がある。
 メンデルがかつて述べた法則、それには優性と劣性が存在するだろう。
 だが、そんなもの意味があるのだろうか?

 窮鼠は思う。
 ――存在に置いて、無価値なものこそが、劣性なのだ、と。


 さしずめ、それは自分に当てはまるも、当てはまらない。
 影に生きて陽で死ぬ。

 
 真の光、とは彼にとって雇い主のことになる。
 追求者、という存在は彼にとってはどうでもいいのだ。
 能力者――それ一般を一まとめにくくればそうなる。まったくおかしい。
 ようは、強いか、弱いかだというのに……。

 
 依頼主は彼に獰猛なる獣のツラをかぶった人間達に鈴をつけろ、と命令した。
 
 鈴、とは彼の用語で呪いだ。それこそ、生きる価値すらも焼失させてしまう、煉獄。
 業火の袂に人は無力。絶望というなの鈴の音を、”彼ら”は依頼されたように数10名に警告した。
 
 

 雇い主の言う所、彼らは脇役らしい。
 つまりはいてもいなくても、こまらない。彩る背景のほんの1幕にも存在できぬエキストラ。
 いらないのだ。

 だから、潰す。



「ここ、か」

 赤錆びた屋敷の地階独房へと続く梯子を見据え、彼は呟いた。

 手を伸ばし、掴み取る。
 べとっと肌にそれはこびりついた。

「……何?」

 どうんっ――。

 梯子を握った瞬間だった。
 手にこびりついた粘着物は乗算の恐れのある危険可燃物質だったのだ。
 誰が仕掛けたか――知れたこと。

 
 気配を背後から窮鼠は感じ取った。



 赤外線の集中照射を喰らったかのように窮鼠の左腕は爆ぜた。

「むっ――」

 背後の男は腕を組みこの上なく、この場には似合わない微笑を浮かべる。

 固めた黒髪は流線を描いて外へと撥ね、きりりっとした顔立ちは甘い香りを漂わせた。
 目元はつりあがっていて気丈さを沸々と漂わせ、
 なおかつ黒のトレンチコートはその様相に怪しさすらアクセントする。

 黒薙――窮鼠は粒やいた。
 と、背後に控えていた彼の分子たちは暴走する。
 主を父を守る――それ以上に自分の本体として、
 種を守るという共存本能すら彼らにはかね備わっているらしい。


 ほうっ、と感心の色すら黒薙、という男には浮かんだ。


 群がる窮鼠の数、20。開けた地下水路、とはいえこの大所帯で動き回っている。
 所詮は狭いに違いない。――だが、彼等も場馴れは流石のものだ。

 各々、縦横無尽、狭さを利として、その技術を惜しみなく発現する。
 それをテイル――リング――リング――リング――。

 りんっ――と鳴り響く鈴の音に、黒薙は口元を思い切り吊り上げた。

「そうかいっ――。面白い匂いの正体はコレかっ!!! アノ男を目当てできてみれば、
 とんだ収穫だっ」

 嬉嬉する男の腕に白いうねりが発露する。
 
 能力とも呼べるし、個の身体の異常発達の希少種とも彼の攻撃は頷けた。
 道理は力押し。 あたかもショベルが大木を薙倒すのが容易であるかのように、
 男の拳はあり得ない一閃を描いて範疇に”居た”窮鼠の群れを抉り取る。

 肉が、血が、そして臓腑が瞬きもなく解体されていく。
 除雪機をも彷彿させるその強引さ、削岩機すらも髣髴させるその破壊性。
 分け入った窮鼠の群れはこうして死に絶えた。

「かつて、インドラという男も居ただろう。 お前は鼠だが、彼は英雄だった。
 ・・・それでも、堕落は訪れる」

 男は笑みを崩さない。 不気味なその笑みのまま、突き出したのは先ほどの拳だった。

「……起源体。 危うければ発現すればいい。 お前はソレが可能なのだろう?」

 黒薙の言葉は棘の一遍も含んでなど居ない。 ただ、解らない事は、
 どうして自分の理をこの男が知っているのか、という現実的な驚愕だ。

 
 顔に出ているはずが無い。 何故なら窮鼠はそんな隙は見せない存在だから。

 だが、彼は口を開く。 まるで解答を紡ぐかのように。

「お前にもあるのだ。 生命の線が――生きていることの証明。 クククッ、
 安心しろ。鈴は貰い受ける。 お前のやるべきことは俺の記憶に刻んでやろう。
 代価交換は錬金術の道理であろう? まぁ、俺にしてみればソレすらも児戯だ。
 
 ――知っているだろう? 森羅万象を」

 弱肉――強食。

「ああっ、知っている。 ……」

 逃げ場はないか。 逃げ場はっ。
 窮鼠は混乱する。力の差など明白すぎて立っているのすら、同じ立ち居地にすら居られない。
 何物だ。 お前は――。

 さも当たり前に、男は口を開いてくれるのだ。 気味が悪く、そして動悸すら諦めを見せた。
 さっきまでどうしようもなかった心拍数はいつの間にか安定値。
 絶望の領域に侵犯されたための乖離が、そこには起こっている。

「お前も知っているだろ? 俺は黒薙。 冒険者だ」

「――」

 言葉も無い。
 言葉すら自分から引き剥がされていく。

「貰い受ける」

 男は右手を翳した。 先の一撃はそこには無い。
 ただ、男にしては少し細身の、引き締まった腕がある。

「安心して、俺に任せろ。 お前の役目は俺が果たしてやろう」

 そういうと、動けもしない窮鼠に向い、男は疾駆した。 瞬間だ。

 梯子に仕掛けてあった可燃物質、その残滓がまばゆい光を放ち、そう、黒薙すらも飲み込んだのは……。













 どぅんっ――。












 下水路の大爆発は茜たちのいる部屋すらも激しく揺るがした。
 震度にして6は軽い。

 重い衝撃とともに、シャンデリアは崩れ、
 地面にも数箇所亀裂が入ったのはこの家が手抜き工事の代物だった所為だろう。

 もっとも家主不在の家など物件に回されるしかないのだが。

 幸いだったのは死体の輸送作業が終わっていてことだろう。
 そんなものが転がったら最悪だ。 同類なので哀れみも浮かんでしまうし、
 何より茜は単純にグロテスクなことは嫌いである。

「あーっ、明白だがぁ……」

 ぽりぽり、頭をかきつつ、迷惑面で彼はぐちぐちと、文句垂れた。

「――確かに、明白」

 夕方あったみさおならいろいろこの状態をぶー垂れてそれはそれはスカッとする事をいってくれるだろうか?
 そもそも、彼女がここに向かっている事を茜は知らない。

 ただ、近づく非常時にも、みさおとの一幕は笑いを零させた。

「珍しいじゃないか。 失敬だと思うが、君が思い出し笑いとは」

 既に眉間を寄せた訝しげな表情で、らしくない紳士的な口調で彼は言う。
 それに対し茜は軽く顔を上げた。 シャンデリアの落下に伴い、この部屋の明かりは半分にまで落ちた。
 その薄暗さすら、何やら今の自分にはそんなにおどおどしく感じられない、そんな気分だ。

――みさおは運命と言った。
   この出会いは、運命……わたしにそんなことを言ったのは彼女が最初で、
   そして最後になるのだろう。

 迫り来るのはどんな存在か――明白ではないが、拙いと、肌は伝える。

 職場柄の悲しい性はこういうときにやくにたつとは……。

「何ですか? それでは、わたしが冷血で血の通っていない殺人鬼みたいじゃないですか」

「ふむ、それは一理ある」

 昔を懐かしむような遠い眼差し、茜の過去はトップシークレット。
 すぐさま、背中が燃えるような痛みが彼を襲ったのは言うまでも無い話だ。









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 まさか、獣道があるなんて、この辺の住民は知りもしないのではなかろうか。

 地下数メートル、屋敷の周辺、地下へと続く下水道とはまったく別物の、荒削りの道があった。
 マンホールという擬態はなんとも人の目につかないらしい。

 
 口論の末、自力でも侵入は不可能だ、と結論付けたみさおだが、そこで諦めるほど彼女は潔くない。
 マンホールをくぐって侵入しよう、と魂胆したのだ。
 だが、どうもこの道はおかしい。 下へと続く梯子を下りた頃、ようやくソレに気がついた。

 水の音も、あの汚泥の異臭もここからは漂ってこないのだ。

 するのは土の匂いと水滴の音。 どうやら水道管が通っているらしい。
 森閑としてこの地階には生命の息吹すら感じられた。

 ……。

 初めは掘り進めただけの誰かの足掻きの結晶かと思っていた。
 どうやら、それも間違いみたいだ。

 進むにつれ、取り付けられたランプは上等な調度品、それだけじゃない。 仕舞いには電子音まで響きだす。
 静かな密集した空間にはその音はとてもよく反響した。




「……」

 面白くない、むしろ、不快だ。 ここには生命の息吹――つまり、生きた人間がいる。

 自分は陰懺な殺人現場を野次馬したかった。 映画などで死体に慣れている。
 そろそろ実物も見てみたいというお年頃……とかそういうのではなく、
 単なる興味本位。 行き当たりばったり。

 ようするに、みさおは気に食わないのだ。 この先にもしかすると、自分と同じ考えを持った先駆者がいるのでは、
 そう思うとなんとも腹立たしい。

「もうっ――わたしだけだと思ったのに。 こんな面白い事考えるのは」

 願わくばその権威の横領を。 極力、無駄な力を使わずに。

「人の息が聞こえるわ。 この先かしら?」

 みさおは足を踏み入れた。




「……あらっ、お客さんじゃない」

 みさおが出た先は広い部屋だった。
  楕円形のその広い部屋には何体かの人型がホルマリンプールを泳いでいる。

 目の前のタイルは新しいもので、先ほどまでの掘り進んだ道とは豪い違いだった。
 
「私は無視かしら?」

 自分と対比されるかのような恵まれた体躯の藤香は余裕の笑みすら浮かべ、そこに立っていた。

「あなたのラボだったのかしら。 まっ、そんなことはどうでもいいわ。
 わたしはこれからこの上に向うのよ。 だから邪魔しないでね。
 邪魔するのなら容赦しないわ。 いっておくけど今凄く気分が悪くなっちゃったから」

「クスッ、あなた、強いの? そうは見えないわ? 本当かしら?」

「むっ! 本当なんだから! わたしが誰だと思っているの。 わたしは折原 みさお……魔法使いよ!!」

 普通、魔法使いは自分の素性などベラベラ口にしないと思うのだが、
 偽りか真実か、はおろそかに、みさおは一歩踏み出した。

「どいてくれないと、後で天罰が下るわ!」

「まるで、あなたが神さまみたいな言い回しね」

「そうっ? 自分が一番豪いと思っているけど」

 ガチャンっ、と1つのホルマリンプールが開かれる音がした。
 
「いいわ、それならば、あなたの実力とやらを見せてもらおうかしら?」

 殊勝ではないな、みさおは敵意を抱く。 そして身構えた。


 ホルマリンプールから落ちた人型は目が白い全身つぎはぎだらけの男だった。
 ラヴァースーツを身につけた不完全さの残るその男は何度と無く傾きつつ、ようやくおきあがる。
 その光景は生まれたばかりの野生動物の子供さながらだった。

「マザー……私は何を?」

「鉄槌を彼女に」

「マザー……私はどうやって?」

「歩けないのなら走ればいいじゃない」

「マザー、目が見えません」

「そんなもの、潰してしまいなさい」

 藤香の口元は嬉嬉と孤を描いた。

「サー・マザー」

「あら、私は女性よ、プロト・クルース」

 尋常ではない腕力を兼ね備えプロト・クルースはみさおに向って走り出した。
 ・・・遅い。

 みさおは横に身をそらしその鈍足を回避する。 すぐさまに切り替えしたプロト・クルースを傍目に、
 みさおは詠唱をはじめた。

「―理屈じゃない―」

 一瞬の煌き、そして場違いな風。
 集約したそれらはプロト・クルースを巻き込んだ。
 
 ただ、それだけだというのに、もう、その場にプロト・クルースの姿は存在しない。

「――アルティメット!」

 盛大な拍手で、藤香はみさおを讃えた。
 今にも抱腹してしまいそうな藤香にみさおは呆然と向き合う。

「あなたの強さは本物ね。 凄いわ。 魔法使いさん」

「あ――あったりまえよ! いい? できないことでもできちゃうのが凄いの。
 邪魔だと思ったら、相手をどこか別の場所に転移させる、これもわたしの強さ」

「それで、どこに移動させたの?」

「上の階よ」

 ふぅん、まるでたしなめるかのような目つきで藤香はみさおを見据えた。

 ただ一言。

「回収、お願いできるかしら?」

「えーっ、めんどくさい。 なんて、失礼なの? 報酬もなしにそんなことできるわけ無いじゃない」

「報酬? あなた、何が欲しいのかしら?」

「唯一無二のものかな」

 クスリッ。

「いいわ。 ならば、この宝珠をあげる」
 
「それって、何?」

「さぁ、知らない。 古物商から買ったものだから」

 

 会釈のせずに、みさおは去った。 何か物足りなさのある腕周りにちょっと違和感を感じる藤香はやはり笑う。
 そして、机の引き出しからみさおにあげた宝珠と同じ、色違いのものを選んで取り出した。

「あの娘、かわいかったわ、そして、おバカさん」

 その嘲笑は何に対する嘲りか、何てわかりはしない。

「私にもやるべきことはたくさんあるの。 成り損ないの彼等の処理、
 そして――行き着く先への羨望」

 藤香は歩き出した。 決して自分の作品たちが眠る部屋を振り返る事は無い。
 既にスイッチは遮断した。 あと数時間もすればこの部屋から酸素という酸素は消えうせ、
 真空状態となる。 血と肉片だけの散らばるそんな瑣末な部屋に自分は不釣合い。

「私はただ、先行させてもらうは、愚論の定義すら知らない、追求者なんてそもそも要らない。
 必要なのは、あの日、あの場所に居た彼等の見聞録、そして蒙昧としているあの区域のみの、
 定義――っ」

 丸く地面に切れ目が入る。
 確かに、そこに地階へのエレベーターは存在した。
 ただ、その仕掛けを知る者はもう、その場所には居ない……。

 やがて、無人となったラボには真空状態が訪れる。
 無様に、かの人型達は死を彩られることも無く死んでいった。

















 黒薙、という男は辺りを見回すと、愛想の欠片も無く、肩からの負担を落とす。

「愚かな。 あんな者達に鈴をつけるというのか? 窮鼠は」

 体からは苦渋すら漏れた。 こみ上げる倦怠。
 そして悲哀の一遍も無く黒薙は地上へと現れた――ただ、窮鼠の代価を払うがために。

 


あとがき

 さて、これが最後の敵キャラとなります。

 The Last Moon のボスキャラ=影月、フリージア、黒薙。

 プレイスはでてくるのかすら微妙。雑魚だし。


 位置づけとしては、影月=不死。 フリージア=???。 黒薙=冒険者(トレジャーハンター)
 
 
 久しぶりに予告したら大はずれです。ごめんなさい<m(__)m>
 H・Bの時も嘘つき予告ばっかりやったうえ、連載中断T T もう笑うしかありませんアハハ・・・。

 感想とかもらえると嬉しいです。



 とっぷ