「よしっ!」
威勢良く、祐一はそう、言う。
昨日とは見違えるほど血行もよく肌も乾いた土色というより桃源郷の桃色を思わせる健康さだ。
――断じて大げさではない。
昨晩、祐一に身元不明の宅配物が届いた。
宅配――ここ数年、聞きなれない響きだったが、どうにもその中身に興味を抱いた祐一はすぐさま、
封を切る。
そして、わずかに訝しさを孕んだ、その荷物の全容は明らかになった。
一枚の封筒と、以前、アルクェイドに飲まされた精霊の秘薬とかいう代物に似た色合いの……、
何色、と説明するのに小1時間で済まされないような代物だ。
黒というか、白。赤というか青――緑というか黄色。背理の関係に位置してしまう妙な色合いの
その絵の具チューブを原液のまま垂れ流したような色合いの存在、まずは、封筒を読む必要がある、
そう祐一は判断した。
「えーっと、何々?」
ここのところ、幸いな事にあゆの睡眠時間は平均小学生並みである。
実の所、その発達は口に出すほど子供じみたものではないのだが、まぁ酒の肴、笑だねとして、
祐一はよくあゆの体型を小学生とかからかう。
その反面で複雑な苦笑いを浮かべているのは秘密だ。
「――これは、貴方の身体の摩滅しきった治癒能力を一時的、局所的に補う塗り薬です。
いいな、これ。一晩眠れば、その効果は目に見えて明らかになることでしょう」
それが、一枚目だった。
「……俺を助けようと、いうのか?」
次の手紙には記されていた。どっぷりと大量のインクを用い、内通者(べトレイヤー)と。
謎だった。正直、最近は内通者からの連絡が途絶えているのに違和感はあった。
ただ、期間として途絶える事など、よくある、いわば日常茶飯事。
何より、今まで内通者が自分に介入のような素振りは示さなかったわけだ。
それが、今の心境の発端である。ただ場所を指定して自分に来い、という。
町から少し離れた空港――一応海外にも何本か便を発している滑走路を有するそれなりのもの。
その空港の東の端にあるロビーで会いましょう、まるで親しいペンフレンドにでも送るかのような、
意味深な内容だった。
――手紙から読める事は、自分を内通者は求めている、ということか?
こっちとしては今まで顔も出さないでいた素性もわからない奴のことを知れるんだ。
少しくらいは――というものには、確かに掻き立てられる。
既に合う決意はできている――なんていったらかこつけだ。
だが、翌日の祐一の異常なまでの活動力の向上は本人にその意思を肯定させるのには十分だった。
靴の紐を結び、いつの頃からか着込むようになったモスグリーンのブルゾンを羽織る。
外はまだ涼しいから構わないが、昼間を過ぎれば暑い。
「何を今更」
乗り込んだ列車は夕方6時まで毎時間1本走る繁華街への直通便だった。
朝方から走っているという事もあり車内はごったがえしている。
おさないでくださーい、おさないでくださーい……そんな駅員たちの努力も甲斐なく、
彼らは自分勝手に押し合い圧し合い、車内へと侵入する。
数時間待てばその喧騒も静まる、ということなど知りもしないかのように。
祐一は時間を指定されている、という名目上、この列車に乗る事を強要されてる。
しっかり定義があるから、構わない――??
と、なると矛盾していないか? 祐一は眉を顰めた。
「やれやれ……」
暑いからではなく、照れて頭をかく。
なんて、自分は我侭な哲学者なんだ、という嘲りすらあるのは、そのことに気がついたからだ。
「右手は、もういいんですか?」
「……?」
自分に尋ねてくる声がした。狭く首を上手く回せない。力押しでは被害だけが尋常でないこともある。
だが、右手、とは即ち聖刻、自分のことを知っている人間に他ならないのだ。
聞き間違いでなければ……。
「――ここですよ、相沢 祐一」
……、なるほど。彼女、里村 茜は自分の膝元に居た。座席を取れたのか、まったく羨ましい限りだ。
ふゥ、祐一はむさくるしさに一息つくと、視線を下に向けた。
「んっ、どうした? あんたがこんな時間に活動している、なんて珍しいな。
低血圧で有名なのに」
「……人を蔑むかのような視線でみるのはやめてくれますか?」
「んっ、ああ」
ガタンッ、電車はカーブに接したか、軽く揺れ振動した。
くっ、と掴んだ吊り革がぎしり、と軋み、祐一の上着の袖から右腕が覗く。
茜はその腕を見て多少なりにも感心を示した。
ちなみに、隣で祐一を見る彼は恐れすら抱いているようだ――分からない人には変わった刺青である。
「治癒の効率は見た印象99,9パーセント。今度また、テストをしてみましょうか?
新しいプログラムを組んで」
「・・・・・、俺を殺すきか?」
「あなたには、いつ死んでもらっても構いません。ただ、遺骸だけは残してくださいね。
有効利用させてもらいますので」
「マジ?」
「………………冗談です」
一瞬、祐一の顔が引きつったので、茜は満足そうに微笑む。
だが、次の瞬間には、彼女の視線は俯いていた。
昨晩の事故――知り合いの死亡と、黒薙、という存在の出現。
吐き気すらもよおした惨事を茜は正視できるほど、穏やかでなければ冷静でもない。
そんな機械のような生き方は彼女は決してしていないからだ。
ただ、事象が重なり、とある要件を追求するため、ある節に誘われ、魔術師の門をたたいたに過ぎない。
祐一のサポートをしている、というのも実験であるし、合意もある。
成り行きだ。
発展途上の国に先進国が無理やり特性を略奪する頻繁な行為に、茜の心理的変動は似ていた。
「相沢 祐一。ところで、どうしてあなたはこんな朝方から活動しているのですか?」
「さぁな。俺は人に合いに行く、ただそれだけだ。ったく、我侭な人だことで」
「……偶然ですね。わたしもです」
「――場所は?」
「……秘密です」
「だろうな。俺もこの件に関しては黙秘を貫くつもりだし」
比較的大きな駅に差し掛かった。乗り換えをするのか、乗客の大半はそこで乗り換えるようで、
数席、椅子も空く。幸か不幸か、茜の隣に座っていた中年の男は席を立った。
「……だめです」
「俺はまだ、何にも言っていないのだが」
「ここは、シルバーシート、あなたのように健康の具現体のような男には相応しくない」
むぅ、と一度、祐一は唸った。
「相沢 祐一」
「んっ?」
「次の駅でわたしは降ります。それで、頼みがあるのですが」
「何だ?金以外なら多少の譲歩はするぞ」
「一緒に帰りなさい」
「はぁっ?」
「……わたしは、絶え難い存在と邂逅してしまった。あの男は蛇よりも辛らつで、
人よりも貪欲です。確実に今夜、わたしに会いに来る」
それは、怯えだった。何であろう、今の今まで、このギリギリまで茜はその姿を露呈しないでいた。
それにこんな弱さを曝け出されたのは初めてだ。
……正直、祐一は猜疑すらしていた。
「何時になる」
極力声色を弱めて、祐一は問い掛けた。
「午後4時以降に改札口の前、異論はありませんか?」
「……。やれやれ、何か奢れよ」
舌打ちしつつ、祐一は呟く。
「……嫌です」
そんなに優れた色をしていないねずみ色の空にも時間を追うごとに日差しは差し込んでくる。
茜が電車を降りる姿は、駅にもれる、そんな日差しと祐一の溜息が重なった頃合だった。
やれやれ、祐一は執念は深くは無いだろう、ただ、なんだかガキみたいな気持ちがあった。
童心とは時に美しくて、時に醜い――醜悪なくらいだ。
やはり、祐一はちゃかり、先程茜に侵害されたそのシートに腰を降ろすのである。
空港の前の空気はどうにも、振動が相まって祐一は苦手だ。
キィィィーーー、っと共鳴するその振動が、祐一としてはどうにも好きになれそうに無い。
「……ついたな」
うっかり電車で仮眠を取ってしまったこともあり、その全身が気だるく、
引きずったままで歩み寄る最悪さが、より祐一の気持ちを困憊に近づけた。
さて、と目の前の階段を横切ると、エスカレーターに乗って、ただ、上を目指す。
到達点まで、あと数分――もう目と鼻の先といってもいいだろう。
「――」
指定された場所には誰もいない。
どういうわけか、本当に人通りの少ない待ち合わせポイントは、空港の外が見渡せるのだが、
乗り場から最も離れているがためもっとも人が少ないらしい。
ちょっと視線を移しても、土産屋も無ければ、喫茶店も遠い。
不便の塊のようなばしょだった。
祐一が試しに灰皿を覗いて見たが、驚いたことにチリ1つ捨てられていない、という異常さ。
空港からみれば、埃を掃くだけの価値しかない、客足の一番来ない場所――どうやらそれがここのようだ。
「ふぅ――」
ここから見える景色は防音ガラスのお陰で発射する飛行機とそれに反対する住民の家といったところか、
真新しさも無く怠慢気味の景色しか広がっていないのには毎度の事ながら新鮮味がなく、そう無味乾燥だ。
――果たして、本当に内通者は現れるのだろうか。
そんな疑問ばかり、俺の胸の内には曇りを見せていた。
回避不可能な約束が祐一を縛り付けている。
自分に健全な身体が戻ったわけだから当然、
それを破るのは本人としても許しがたいかった。
――だから、俺はここに来た。
だが、興味を持ってきた分、今になってやってくるのは疑問。
どうして、俺が負傷していることをしっていたか、という……。
解らない。 ここを指定したわけもわからなければ、俺のことを知っているのも……。
ぴんっ、と来るのは自分の身近な人間では、という誤解ともとれる考え方。
半信半疑、あゆはどうか、などと人の名前を充ててみる――。
「いくらなんでも、あいつら、じゃあないだろうなぁ……」
くしゃっ、と髪を掻あげる――。
ふと――数年前のことを思いだした。
高校、というお決まりのシステムを脱出した祐一は舞、そして佐祐理と再会を果たす。
舞と佐祐理は大学に進学している、と思っていた。
だが、どうも違うらしい。 口ぶりにはそういっているのだが、どこかで引っかかる。
曖昧な大学生活の提示は祐一ですら理解可能であった。
そんな矢先だ。 能力、という言葉を耳にしたのは。
佐祐理、そして舞が能力を使う姿を偶然目撃したのをきっかけに祐一の運命は変動した。
空白。
そして神区域。
曖昧な世界の片鱗こそが、祐一の記憶を犯す。
記憶が無いのではない。
記憶を食されたのだった。
数年――気がつけば、あゆは自分の相棒として聖刻の概念などを学んでいた。
残酷なことに、祐一の空白の間に、あゆの変動があったらしい。
怖いので聴けはしないが、祐一は今、右手に刻印を記されている。
聖なる、刻を刻むもの――能力者と似通っているが使い勝手がこんなんな難物。
それが、聖刻なのは先刻承知だ。
見据えた視線の先に、その聖刻がくっきりと浮かぶ。
影は、自分の右腕に重なった。
「――」
名雪は黙して、自分を見つめる。
「……お前、だったのか?」
……。
しばし、時間すら忘れ、2人の視線は絡み合った。
「何のこと、かな。 わたしは、友達が帰国するっていうから、迎えに着ただけだよ」
「!!?っ、いいわけがましすぎるぞ、いくらなんでも、ソレくらいウソだって俺にも解る!」
名雪は一瞬顔色を蒼くし、踵を返した。
逃がさない――よく解らないけど、今、逃がしてはいけない。
名雪が内通者という確証はどこにもなしだ。
ただ、逃がしては、今、離れてはいけない気がした。
何故なら、祐一は見てしまったから。 憔悴しきった名雪の瞳を。
あれは尋常じゃない。 名雪は――何かに囚われて、救いすら、祐一に求めている、
そうだ! 絶対、そうに決まっている……だから、祐一は名雪の手を決して離さぬように掴んだ。
「離してっ」
パシンッ、と乾いた音。 振りほどかれた名雪は一気に駆けだした。
「ま、待てよっ、名雪っ!!」
自分が負けるはずがない。 祐一は走り出す。
早すぎる名雪の後姿を追うことに祐一は躍起になった。
あと、数メートル。
その数メートルがもどかしい。
こんなはずじゃなかった――心底名雪は後悔する。
なんで、自分が逃げているのか、名雪には到底理解不能。
いや、何かぞわっと逆立ったのだ。
どうして、ここに祐一が、という疑問と名雪、という存在がここにいてはいけない、という警戒音。
うっ――げほっ。
「っ! 名雪っ、一体どうしたんだよ、お前っ」
ようやく、祐一は名雪へと、手が伸び、その背に掴みかかった。
衝撃で名雪は転がり、祐一自身も体制を崩す。
「痛っ、すまない、名雪、大丈夫か?――」
広い、空港のロビー。
祐一が体制を立て直したその先に、もっとも、そう世界で一番会いたくないいわゆる、
嫌いな男が立っていた。
男は茶を濃くしたような黒交じりの散切りで不適な笑みすら浮かべ自分を見ていた。
「……久瀬」
苦々しく、祐一の顔は必然に強ばる。
解っているよ、彼の顔はそう問いかける。
即座に、その髪は銀へと退色――。
来ていたスーツその上着のポケットから、淵なしの目がね取り出し、装着した。
「この前の僕は、君の知り合いに殺されてしまったからね。
結構重要な、そう君の右腕くらいの価値ある存在が適任と判断した」
「――」
「ここでは、無駄が多い。 それに、水瀬くんも死んでしまうよ。
彼女は重症だからねぇ」
「!!!!!?」
「僕の目的は1つ。 君の参加意思の確認だ。
この、僕を殺す事が出来れば、
君を僕は招待しよう。 この、喜劇にね――」
その時、思い足取りで名雪は立ち上がり、祐一へと、歩み寄った。
「おっと、君に動いてもらっては困るよ、水瀬くん」
久瀬の爪弾きに、名雪は崩れた。
「く、久瀬、お前――」
「安心したまえ。 彼女は気を失っているだけだ――もっともそういう水瀬くんのほうが、
よっぽど性質が悪いがね。 まぁ、イイさ。
ついて来てくれ。 場所を変えようじゃないか」
「――構わない」
「……」
「ここで、ケリをつける」
一言を封切りに、祐一の右腕はウォンと撓る。
聖刻を孕んだ右腕はドクンッと脈打ち、
即座にその身体全体が爆ぜるかのように、久瀬へと飛び込んだ。
にぃ――思惑どおり、といった具合に久瀬の口元が緩む。
「ひがみったらしいなぁ、相沢くん。 だが、僕の面子も考えてくれよ。
だから、ここじゃ、やらない。
次元を、変えようか。 僕の保管庫――鏡面世界――へ」
久瀬はただ、爪弾きをした。
祐一は、肌がひりっと焼ける感覚を覚えた――意識が遠のく。
だが、それは自意識の損失ではなく、過程。
イケる、祐一はタイミングを見計い、
右腕を膂力に任せ、自身の背面へと叩き込んだ。
ドスゥンッ――。
胃を揺さぶられた激しい衝撃は目覚めには完全だった。
気分は最悪だが。
「……人、がいない?」
同じ風景――自分の付近に転がる名雪の姿も無ければ待合の人ごみも存在しない。
ただ、自分と、自分を見ている久瀬だけがここには存在していた。
それは、鏡面世界。 あるはずで、無い。 能力者、久瀬
元治が演出する仮想世界。
干渉はできないが、久瀬のみがいない、孤独な世界。
それが鏡面世界だ。
「ちっ――」
祐一は殺意を込め聖刻を再度解放する。 どうこう考える暇は無い。
「さぁ、殺しあおうか。 そうでなければ僕は仕留められない」
「俺はあの負けを認めるほど、やわじゃあないんだよ。
さっきの名雪のことだって、
我慢できない」
「――やれやれ、嬉しいな。 君のそういうスタイルはいつになっても変わらないよ。
何も、守れやしないのだが」
それが本当の合図だった。 祐一の何かが外れてしまう。
全身から溢れる抑止の効かないデメリットすら気にも留めず、祐一は荒れ狂う一撃を備え、
久瀬へと走り出した。
あとがき
本編再始動。 そして、物語は中盤を通り越しました(^_^;)
下手なりに、下手。へタレと下手ってどう違うのやら。
次回は久瀬とひたすら祐一が戦ってます。
今更ですが、久瀬=影月ではあり、そうでないですよ。
影月は久瀬のぴーーーーなわけです。
鏡面世界で察してくださいな。 彼は某龍騎のぴーーーーーなわけです。
私欲の権化だけどね。
感想とかもらえると嬉しいです。
とっぷ