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第47話 後編 ←承
熱く、焼き焦げるような全身の苦痛など、とうに味わいつくした。
今、祐一にあるのはあまりにも虚しい、僅かな心臓の鼓動音――。
「…………」
ふと、自分がベッドに眠っていることに祐一は気がついた。
うつらっ、うつらっ、とシエルは頭を垂れたのはあの日から3日経過しようというある日のことだった。
相沢 祐一に完全な治療を。 3日3晩にも及ぶ療養は功を奏し、傷は回復した。
……ただ、不思議なことに、彼の右腕だけは今だ、聖刻の色は戻らない。
「今日で、3日目ですね」
ベットに横たわる祐一に優しい視線を送りつつ、秋子はゆっくりと部屋へと入って来た。
秋子とて、茜の部屋でまともな治療をうけていたがため、昨日まで行動は制限されていたし、
何より、いつまでも気迫の無い顔ではいたくない。
アルクェイドから例の薬を拝借し、秋子は辛うじて回復に成功したのだ。
思い出すのは、真祖の微笑そして気さくさ。
秋子のイメージしていた冷酷で気丈な真祖のイメージはそこには無く、拍子抜けであった。
「もう、体の調子はいいんですか?」
シエルは秋子の安否を尋ねてくれた。
秋子はええ、と落ち着いた声色で応える。
「――祐一さんのケア、ご苦労様でした」
「当然です。 まだ、死なせられませんので。
契約内では、命は保障しますよ。
もっとも死んでしまっては何もできませんでしたが」
クスッ、とシエルは鼻を鳴らす。
――そもそも、祐一の治療はアルクェイドがやりたい、と申し出ていたのだが、シエルが説得したのだ。
拳で。
もし、アルクェイドがやっていたらどうなっていたか。
想像しただけでも恐ろしい。 翌日には元に戻っているであろう祐一はきっと死徒の仲間入りである。
さめざめとした表情で自分の天敵となってもらうのは堪らない。
仮にそこに至らなくても、多少なりの医学知識、霊的知識しか有しないアルクェイドに重傷者のケアは不安が多かった。
シエルはこういった要因を踏まえ、自分が適任と判断し、祐一の許可無く手当てを行ったのだ。
まずは、骨の再生から――という具合に。
「あなたは、水瀬 秋子は、祐一さんの叔母でしたね。
何か、ご存じないですか?
相沢 祐一について」
「――そうですね。 祐一さんは能力者のような存在であった、といえば信じていただけますか?」
「信じます。 教会のブラックリストに名を連ねる存在ですから」
「・・・・・、かつての、祐一さんですね。
でも、もう、かつてでもない」
!!、つかみ所のない秋子の発言に、シエルはただ、凝然とする――。
――どういうことでしょうか?
相沢 祐一が――??
秋子の瞳に焼きつくのは、3日前のあの光景。
悔恨というなの懺悔を思いださせる苦々しいあの。
提唱された――。
シエルははっとして、秋子の意図をぎこちなくも理解する。
祐一のアキレスは片方切れていたのである。
だが、佇んでいた。
「――ありえない」
ぶつんっ、とキレたアキレスを修復したのはシエルだ。
だが、修復するいぜんは綺麗に切れていた。
だというのに……。
そもそも、人間とはたくみにできていて、とても成功だった。
ネジ一本とて外れれば動けなくなるのもそれに然りであろう。
祐一が立っているなんてあり得ない。
自然と、シエルの表情は険しくなる。
「そんなに思いつめないで下さい。 可能性は、いくらでもありましたから。
祐一さんが――聖刻を施したのにはわけがある。
強くなるため、などではないでしょう。
そもそも、聖刻はその逆の立場に存在するのだから。
ですが、どうでしょう。 真逆が存在したとしたら」
「真逆。 つまり、あなたは――」
零れる溢れんばかりの涙。
それが、秋子の頬を伝ったこと自体が、シエルとしては真逆にすら感じられた。
微笑の張りぼて、その裏に秘めた思いシエルでは理解できそうにない。
秋子は知りすぎた。 押える事すらできないというのに。
そして、観てしまった。 それが辛うじて、の抑制を大破させた瀑布だ。
秋子の目の前の光景は――白く仄かな自分などではなく、黒い恐怖でもなく、ただ、ニヒリズムを謳う、
自分の甥、相沢 祐一の姿であった――。
ただ、佇む彼の幻影に自分は救いようの無い痛みを覚える。
臓腑をかき混ぜられたような、鈍痛な痛み、全身にこみあげる嘔吐感。
……じくりっ。
「――うっ」
全てを語るには、自分は、矮小、そして卑小すぎた。
だが、現実を伝えなくてはいけない。
「祐一さんは――」
……秋子さん、だ。
「水瀬 秋子。 あなたは罪人です」
シエルの視線は鋭く、秋子を突き刺すも、秋子にしてみればそれは得てして当然な結末であった。
実に、不快だ――非ざる考え、そこに生じる大人としての結論は、あまりにも残虐で、シエルには耐え難い。
いらだたしい気持ち、それの抑制に専念するため、シエルは無言で部屋と出た。
「それでも、わたしは、伝えなくてはならなかった」
なんて、身勝手な自分。
なんて、不幸な自分。
――自分は罪を擦り付けられたようなものだ。
水瀬 秋子はあの日を思い出す。 良く晴れた、今朝のようなそれでいて、あそこはカラッとしていた。
心地のよい夏日、初夏の出来事はこれから訪れるであろう沈黙を殺すには相応しくない。
だが、世界は常に真偽を問うのであろう。
常に、立ち居地は不安定で、特に秋子のような存在にとってみればそれは深く刻まれていた。
能力者として、上の立場にいる自分は、やるべき事も多い。
『現在時刻 12:00 神区域にて』
額に雫をため、秋子はそう、電子メールを打ち続ける。
知り合いへの報告、もちろん、自慢も兼ねた。
自分は優れた存在だ。
幸せな生き方をしている。 けっして間違ったことなどしてはいない――。
その余韻に秋子は浸りか立ったのだろう。
つまらないことは考えないように、ただ、ひたすらに没頭することが欲しかった。
もうじき、自分がもっとも後世に誇れるであろう仕事が始まる。
名雪をつれてきたのは、正解だった。
……どうしても、自分は、そう、するしかなかったのだ。
「秋子さん――? えっ!? どうして秋子さんがここにっ!?」
――祐一さん……?
無理をして象られた平静な微笑みは、果たして、これ以降の自分を堕落させるであろう。
逃げられない、人間失格の烙印は、もうとうに押されてしまった。
秋子は常に仮面をかぶり続ける。
目が覚めて、まず、祐一の耳に侵入してきた声は秋子であった。
木漏れ日のような優しい響きから漏れるのは自分への決別を秘めた残酷な幻影。
『祐一さんはわたしと、名雪のために犠牲として能力を提供してくれたのです。
あの日の災厄をふせぐため、わたしが彼を犠牲にする事を提案しました』
「――久しぶりですね、祐一さん。 起きているのでしょう?」
グルリッ、祐一は秋子に背を向ける。
話したくない。 聞きたくない――何かの間違いだ、そうに決まっているじゃないか。
「謝らなくてはいけませんね。 すみません。
今まで、黙っていて」
「……堪らない。 秋子さん、どうして、今まで黙っていたんですか?
そんな大事な事を」
「――知りたかったですか? 残酷な暗黒歴を」
だからって!!!
祐一は勢いをつけて起き上がると、秋子をにらみつけた。
だが、どこか違う、そんな気がして、直ぐに、目を逸らす――やりきれない。
「だからって、いいと思っているんですか?
久しぶりに会って言う言葉がソレですか?
解らないよ――秋子さん、 あなたはどうして隠していたんだ」
核心へと迫ろうとする祐一の声はただ、虚しく部屋に響き渡る。
その全てが虚しい。
そっと、秋子は自分の頬を撫でた。
――哭いている。
「祐一さん。 では、あなたに、めまぐるしい日々を送っていたあなたに、この事をもっと早く伝えるべきだったか、
あなたはそう思いますか?」
「だって――その事実を俺は知らない、今だって御伽噺みたいだ!!
はっ、粋がったって解らない。 自分のことなんて関心も持った事はなかった。
だというのに俺は、今悔しい」
「……」
次に自分を見つめた祐一の真摯さはもう、自分を開放してはくれない。
「だからって、俺を置き去りに、あなたは全てを置き去りに、死に行くつもりだったんですか?」
頷けない。
相沢 祐一、という存在の軽視を――秋子は思い誤っていたことに気がつく。
ふと秋子の脳裏を回想が過ぎった。
懐かしい、祐一の姿。 高校の、半ば過ぎに彼は久しぶりにやってきた。
頼もしい存在であった事は記憶していた。だが、どこか儚い幼さも同時に兼ねていた。
それが秋子にとっての祐一という偶像であったはずだ。
そんな思いが、秋子のバランスを崩していく。
思わず、全身に奔る予感を抑えてしまいたいくらいに、秋子は自身を抱きしめた。
ここに佇む自分。
真実を求める一青年、相沢 祐一は、秋子に別の姿を完全に意識された。
人は変わる。
祐一、という存在を受け止められない自分はいいのがれをしたいという気持ちの権化であろうか?
それでは、頬をツたる雫は恐怖だ。 それでは矛盾している。
祐一の口が何か言葉を発した。
聞こえない――聞きたくない。 一言をつむげばつむぐほど、秋子にとっての祐一が崩れていった。
祐一が喋り終える――沈黙が蔓延する。
最後になろう、哭くという行為を秋子は終えて、それを拭い、祐一に微笑を浮かべた。
逃げる術を失ったとき、祐一と向かい合って初めて、自身のおろかさを、子供が叱られるようにして、
理解した。
――これが、おろかさ、ということでしょうか?
それでも、心配そうに、自身を見つめる祐一がたまらなく愛おしく思える。
「ごめんなさい、聞いていませんでした。 ですが、祐一さん。
そして、あなたを憧憬の眼差しで見つめていました。
でも、もう、あなたは昔のあなたではない――」
ふっと、秋子は祐一に歩み寄り身を屈める。
そして、その艶やかな唇を、祐一と重ねた。
乾いた祐一の唇に軽い水分が伝播すると、祐一はハッ、として、秋子が至近距離にいることを感じた。
「――こんなに近くで、あなたを見つめるのは何年ぶりでしょうか?」
「……秋子さん?」
秋子の腕は祐一を抱き寄せる。 そして、深く、抱きしめた。
「不躾な叔母を、許してくださいね。 でも、あの時はそうするしかなかった」
「――」
哭く、のではない、罪を抗うのではなく、真実にただ、謝罪を求める懇意の涙が秋子の頬を伝いだす。
一度、抱きとめるべきか、思案した、戸惑った顔をしつつも、祐一は秋子を受け止めた。
「俺の知らない、俺が居る。 秋子さんはソレを知っているんでしょう?
ならば――俺は確かにそこに居た。 記憶を共有できた」
人は脆いから――祐一は自分の半生に深く関与した秋子に事実、恨みなど存在しない。
感謝しているくらいだ。 子供ながらに、初めて好きだと思ったのは秋子だった。
憧憬は、やがて、真情を映し出す。 好き=LOVEとは限らない。
秋子に対しての気持ちはソレなのだ。
あくまでもLIKEであり、最大級の敬意で敬うべき存在。
それが祐一にとっての秋子だ。
「あなたに教わらなくても、いずれ解る事だった。
俺は確実に何かに触れようとしている。
久瀬の再来――志貴の暴走――そして、あの黒い男」
「祐一さん、あなたは、戦う事の意味を、どうとらえているのでしょうか?」
……えーっと、と祐一は言葉に詰まったのは当然、秋子の言い出しが突然であったからだ。
照れくさいが、秋子に手を回したままで頭が掛けないのには気恥ずかさを禁じえない。
「戦う事なんて、何の意味も無い。 ただ、俺は、自分自身を知りたい。
だから、俺にとっての戦いは、自分との葛藤――なんていう感じです」
「――祐一さんらしいですね」
秋子はもう一度、祐一と唇を重ね、空気のように、祐一から離れた。
そして、ドアへと歩む。
「秋子さん? これからどうするんですか?」
「名雪を探します。 あの子は、わたしが探さなければいけないらしいですから。
これが、水瀬 秋子という、
はしたない女の正体ですよ。 甥の唇を奪う、ね」
「ああっ、はい」
「ですから、ここで、お別れしましょう。 では、また」
親しみがある、だが、妖艶な1人の女性として、水瀬
秋子は去っていく。
ドアに手を掛ける。
「秋子さん!!」
「――?」
「その、今度会うときは、何か、飯でも作ってくださいよ。
俺、あなたと、あなたの作るご飯は、
好きですから……ジャム以外は」
クスッ微苦笑気味に秋子は笑う。 祐一は照れさのあまり、頬を軽く掻いた。
「了承」