第51話



 暴走、その言葉が相応しい。

 アイスコフィンの勢いは迅速に展開され、見境なくただっぴろい部屋を覆い尽くす。
 触れれば肌を焼き、凍傷を起しかねない絶対零度の世界がただ名雪の能力によって展開された。

 秋子は即座の判断で全体を計測、そして無理やりでも自分を操り、攻撃を避けざるをえなかった。
 名雪ではない――名雪。

 自分が一番守りたかった存在。 守りたかったが故に手放したもう1つの存在。
 それが、今秋子に仇となって己を苦しめる。

 帰結――因果応報は必ずしも自分に帰ってくるのか?
 そんなこと――間違っている。

 否定したい。 だが、事実だ。 頬を赤くひり上がらせた冷たい激痛はそれをあっさりと照明する。
 また、後悔するのならば、自分は死んでしまったほうがいいのではないか?
 秋子の心は弱音で充満していた。 だが、それと同時に枯渇させられないものがある。

 血液と、能力者としての資格。 そして、名雪と――何よりも自分を思慕してくれる相沢 祐一。
 あの日、自分は過ちを犯した。

 秋子の顔を苦悩が幾度となく過ぎっては消えた。

 腕を曲げ、迫り来る氷山を回避し、なお、全身を深く屈め、低い姿勢で名雪へと秋子は近寄る。
 まだ、戸惑いは消えない。 自分は、だが、名雪を止めなくてはならない。

 だから、――叩かなくては。

 
 白い衝撃は秋子の全身を包み込んだ。

 ドライアイスのような靄は秋子の足元を覆う。

「無駄だよ。 お母さん」

「――っ」

 気がついた。 そして、はばかることなく全身を前へと押し出した。

「惨めだね。 そんなことにも気がつかないなんて。 本当に、バカだよね?
 お母さん」

 足元の靄はその水分を瞬時に氷結させ、秋子の足に深く絡みつき、足取りを阻む。
 一瞬にして秋子の足は行動不能になった。

「あと、1分――それだけあれば、お母さんの足、腐敗するんだよ。
 じゃ、バイバイ」

 どうやら、待ってはくれないか。

――この場、まだ、わたしは死ねない。

「名雪、祐一さんはあなたのものにはなりませんよ」

「えっ――」

「わたしは、祐一さんに抱かれたのだから」




「――っ」

息を呑む。
 青ざめた名雪の唇は憤怒を通り越しヒステリックな感情を露にした。
 
「祐一さんの、身も、心も、あなたのものにはなりません。 一生」

 その場凌ぎの大嘘。 それでも、十分すぎる。
 名雪は暴走した。

「うそだぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 氷解と、氷結の連結はバランスを崩した。
 秋子のかけは、どうやら成功らしい――名雪は自分すら見失い錯乱。
 
 虚ろな瞳は、秋子を捕らえた。
 殺す――お母さんを、殺す。

 
 パリンッ、と薄い氷が割れる音がした。

 ビルそのものを突き破り、まさに、氷山。
 そう呼んでもおかしくはなかろう膨大なアイスコフィンはビルも河川も、家屋すらも半径2キロ街中を氷柱へと変えた。

 

 秋子はその衝撃に身をゆだね、身は外へと弾き飛ばされた。
 下は凍りついた地面。
 正直、助かるかという確率には自信がない。 だが、生きなくてはならない。

 生きなくては――自分は、何も出来ないままで終わってしまうから。
 せめて、あの子達にだけは自分の生きた証を――。

 水瀬 秋子は、誇り高くあった。
 そうあるが故に、中途で死にゆくことへの猜疑心を抱いた。

「……ごめんなさい。 名雪。 わたしは、まだ死ねないわ」

 腕は2本とも暫くは使い物にならないだろう。 だが、足は大丈夫なようだ。
 秋子には能力が呪わしくすら思えた。 かつてあんなに誇りとしていたものが。

「あらあら、派手にやったわね、名雪」

 それでも、秋子は余裕を崩さない。 水瀬 秋子である以上は――逃げてでも。
 血染めの衣服が痛々しかった。
 
 見渡す限り、氷塊の世界と化したその場を、秋子は歩き出す。

 その歩き出す足取りも重い。

 




「逃げちゃった――」

 名雪は自身を深く抱きしめ、悲しみに満ちた表情を浮かべた。

「ごめんなさい――ごめんなさい、お母さん」

 霧が晴れるようにして、名雪から殺気が薄れていく。
 全身が一度震えたかと思えば、名雪の口腔から血塊が噴き出した。

 体は雪崩に巻き込まれるかのように氷塊の中へと埋もれていった。
 一筋、頬を雫がたれ、名雪は浅い眠りへと、逃れられない眠りへと没入する。

 ・・・・・・。














 

――男の声が聞こえる。

 歓声? 嬌声? どちらにしても同じだ。
 煉獄の炎の中、あの男は佇んでいた。 使用できる人間はただ、呪われた半生を送る。
 悲しみと同時に秩序を崩していったその能力の名は48の王。

――苦しい。

 数人の死体に埋もれ、辛うじて、自分はいきているというのは不思議だ。
 本当に気がついていないのか、はたまた無視しているだけなのか。

 自分達を死滅させらんがため送り込まれた青年は狂気に満ち溢れていた。 ただ、それだけ。


 白い、本人とは不釣合いな能力はその周囲全域を震撼させる脅威の波動だ。
 その力学の根底は存在しているのか、彼は調整しつつ、確実に、48、それに到達するため、躍動した。
 
 網膜奥深くに光景は焼き付けられる。
 ぞくり、とするほどの荒い呼吸音を自分ははいているというのに、彼は清清しい。
 まるでどこか、清涼の高原に迷い込んだような幻想に茜は取り付かれるが、ここはもうもうと煙の上がる死地。

 頬を抓ってもそれは夢ではなかった。







 うっすらと、目は開かれる。

 相沢 祐一、いやあの能力は48の王、魔術師48人を殺しつくした悪と茜は考える。
 頭痛を覚えた。 自分が何をしていたのか記憶が薄れている。

 あの夢、そして、目を覚ましたら自分は手足を縛られて自室の壁に寄りかかって座っていた。
 自分だけじゃない。 見下すように、そこにはみさおがベッドに座っていた。

「――茜さんって以外に大胆だったのね。 まさか、相沢 祐一に……」

 ゾンッ!

 ピアノのもっとも低い音と、高い音を同時に強く押した鈍い音。
 茜の頭を数時間前の光景が8ミリフィルムみたいに流れ出す。

「――」

「どうしたの?」

 そんな茜に無許可にみさおは尋ねてきた。

「いえっ――、少し眩暈がしただけです。 それより、みさおさん? どうしてここに?」

「知らないわよ。 シエルさんが茜さんを抱えてこっちに来たからここに隠れてたんだもん」

「そうですか」

 短く茜は話を切った。

 茜は自分のしたことを次第に理解しだす。
 相沢 祐一に対する恐怖が一瞬にして爆発した結果、それは自らの行動へと至らしめたのだ。
 あの男が自壊してくれれば、わたしは何も怖くはない。

――あとは、司さえ戻ってくれれば……。

 それは、儚い夢だった。 司と、詩子と、3人肩を組むようにして寄り添い歩く。
 10代のそんな甘い幻想は今だ茜を留まらせている。

 もう、戻ってこない。 誰もが彼のことを忘れてしまう、としても……茜だけは覚えていた。
 忘れないがために、ひたすら彼だけを思い続ける。 寂しい夜もある。
 自分を慰めるこをがどれだけ空しいか、彼は知っているのであろうか?

 
 茜は俯いた。
 
「バカね」

「えっ――」

「茜さん、今すっごく後悔してるわね。 くだらないわ。
 だいたい自分から面倒な事に首を突っ込むなんてどうかしてるのよ。いい?
 わたしは自分の興味のあることなら首を突っ込むわ。
 でもね、つまらない事には余計な口出ししないことにしているの」

 薮蛇に、みさおは話を続ける。
 何を言っているんだろうか? 自分が後悔している――それは、あり得ない。

「わたしは、昨日、夢を見たわ。 その中では1人のダメ人間がわたしのことを呼ぶの。
 わたしはその人の名前を呼び返す”浩平”って」

「記憶が、戻ったんですか?」

「記憶? わたしは何があっても折原 みさおなの。 茜さんでもなくて、浩平なんてダメ男知らない。
 それにしても、最悪な夢だったわ! あの男、わたしにコスプレさせようとするのよ?
 この色魔! 夢の中でわたしは男に言ってやったの、”現金で交渉しませんか”?って」

 茜は額から冷や汗をたらし沈黙した。

 びしっ! とみさおは人差し指を立てる。

「そこっ! 笑うとこなのよ? はぁ〜、これだから、凡人さんはダメなのよねぇ。
 茜さんもそうなのかしら?」

 不満そうな溜息がみさおから漏れた。
 
 こういう雰囲気を茜は堪らなく嫌いだった。

「みさおさん、少し、1人にさせてもらませんか?」

「だめ。 そんなのあたしが許さないから。 だって、わたしがまだいいたいことを全部言っていないのに、
 それって卑怯でしょ? ぬるま湯に浸かっていたいんだったらそれでも構わないわ。
 でも余生50年ちょい、わたしなら遊んで過したい。 ラクして暮らしたいわけ。
 そもそも、あなたに恩義がなければ、どうでもいいんだけどね。 この前奢ってもらっちゃったし、
 あの後も出かけたときも、茜さんに助けられられた。
 それに茜さんみみっちく後悔してるわ。 後悔するんだったらやらなければいいのよ。バカね」

「やめてください」

「えっ?」

「わたしが、そんなことで後悔するはずがないんですから。
 それに、わたしは相沢 祐一が嫌いです。 わたしの邪魔をするのでしたら――」

 あなただって、容赦しませんよ?

 面白くない、とみさおは思う。
 確かに、みさおはそう感じたのだ。 茜が目を覚ます前、そこには確かに魘される茜がいた。
 あの姿は何だったというんだろうか? だがみさおに躊躇いなんて言葉ない。

「安心して。 わたしだって、やられそうになったら、自分の身ぐらい守るから。
 なんてったって、わたし、魔法使いだし」

 その余裕が、茜に更なる畏怖を与えた。
 年下のみさおの淀みない感情の前に、ストレートな感情の前に、自分のあやふやさが露呈される。

 茜は後悔などしてはいない。

 だが、自分がしたことの意味が次第に解らなくなっていった。


 何を恐れているのか?

――相沢 祐一を。

 どうして自分は生きているのか。

――理由はない。 ただ、自分は死ぬ事は出来そうにないから。

 帰らぬ日々に、救いを求めるのは、何故か?

――それが、自分の生きている証だから。



 視線は、自然と、背丈の低いタンスへとむいた。

 自分と、親友の詩子と――城島 司……夢ではない、あの頃を移した写真が存在する。

















「俺は、何をしているんだろうか。 どうして、ここに、来てしまったんだろう」

 ぼんやりと、祐一は空を眺めた。
 流れ行く雲の色は蒼。 何もかもが汚らわしい。 今の祐一にとってはそう見えた。

 美しいものは自分自身以外の人間の純粋さ。

 あゆにあり、自分にない。
 
 栞にあり、自分にない。

 真琴にあり、自分にない。

 舞にあり、自分にない。

 名雪にあり、自分にない――。

 祐一は名雪のことを考えた。 あの日、久瀬に襲われて以来あっていない名雪。
 秋子さんに任せたから、心配はしていない。
 今の不安定さを吐露すれば、あいつは自分の支えになってくれるだろうか?

 俺の居場所を作ってくれるのだろうか?

 そんな思いが、馬鹿げていることであっても、祐一の足は駅前のベンチへと運ばれた。
 それ以外、祐一のいられる場所は感じられなかったから。

 何度、空を見ても景観は変わらないだろう。

 日が、隠れて、月が出る。
 だから、どうだというのだろう。 祐一は笑いたいような泣きたいような気分だ。
 皮肉にも、知ってしまった自分の断片の煉獄は自分をきつく縛って放さない。

 つい、数日前の話が、まるっきり嘘であったかのように思えてなお不思議だ。

「――俺は、逃避したい。 現実と、虚像の間にある、自分だけの居場所へと」

 紡ぐ言葉を聞いてくれる人が、せめてここに居てくれれば――。
 よく解らない。 色んな人間の顔が浮かぶのだ。

 茜であり、志貴であり、秋葉であり、シエルであり、アルクェイドである。

 親しければいいというものでもなく、親しすぎる――自分の過去を当たり障りなく知らない人間を好む。
 
 ――。

「今日は、良く晴れた日ですね」

「……」

 すっと、ベンチにシエルが腰掛けた。

「あなたと、同じような罪を背負って生きている人間がいるとしたらどうします?」

「――どうもしない。 俺は俺、そいつは、そいつだよ」

 クスッ、とシエルは微苦笑を浮かべた。
 その表情には、哀れみとともに、同胞へのような親しみが浮かび上がる。

 
「だがな、こんなこと言いたくはないが、俺は事実を知らない。 里村 茜が知っているという伝聞だ。
 そいつが知っているなら伝えておいてくれ。 過去を知っていた方が、どれだけましか」

 誰かに依存したい。 だが、拒絶する。 二律背反の関係の中、祐一は寂しく思った。
 彼の口は淡々と自嘲の文句を囁く。

「っ――目がぼやけてきた。 シエルさん、俺そろそろ、行く。
ちゃんと、埋葬機関には協力する。 だが、少し歩かせてくれ。
正直、今、反吐がでそうなくらい胸糞悪い」

「それで、あなたの答えはでるんですか?」

 ――さぁな。

  祐一は歩き出した。






「シエル。 祐一は、どうしたいのかしら」

 どこからか姿を隠していたアルクェイドはベンチに座るシエルの横を陣取った。

 人は行き交う。 駅の前だから当たり前だ。
 だが、2人に目を留めるものなど存在しない。 皆忙しいのだ。

「アルクェイド。 あなたは、相沢 祐一のことが、好きですか?」

「んーっ、解らないわ。 ただ、一緒にいると学ぶことが多い。 それが詭弁だとしても、
 一緒に居たいと思えるというのは事実なんだけど」

 まるで、小学生がノーベルにダイナマイトの原理を説明されてかのようにチンプンカンプンに腕を組み、
 アルクェイドは顔を渋くする。

「まだ、間に合いますよ。 追いかけてみたら、どうですか?」

「――言われなくても、そうさせてもらうわ。 あいつの行く末を見届けるのがわたしの仕事だからね」

 うっすらと交わる睨みあいはここで終わった。
 シエルが先にプラットホームへと姿を消す。

「んーっ、さて、祐一を追いかけようかしら」

 ――走り去る。 自分を追い越していく青い髪の彼女には見覚えがあるような気がした。

 だから、どうしたというのか――現世に毒されたかしら?
 とアハハと軽く笑うと、アルクェイドは歩みを強めた。
 











あとがき

 また、半分ずつかよっ!といった展開。
 祐一はまだ暫くは決意がどっちつかずな状況になります。





 とっぷ