第52話




 ――只今入りました情報によりますと……。

 自分の隣に座る、年老いた男のラジオから、音源は漏れてきた。

 シエルは沈黙する。

 そして、聞き耳をたてた。

 場所は、ここから1時間も直通で乗り継いだ先にあるビルが立ち並ぶ大きな街。
 雑居ビルも多く、夜の方が栄えているその町の一角、光が漏れたそうだ。

 そして、即座に、この街は、氷河地帯のような氷に覆われた。

「……」

 脳裏に過ぎるのは、”能力者”というキーワード。
 本当にやな予感が漂う。

 今まで、表ざたにたってこのような報道があったのは初めてではないか、とも思った。
 そう、能力者はあくまでも、知られているようで表ざたに出てこない。

 彼らだけではない、多くの第3者がそれを隠蔽しているのでは? シエルは推理する。
 もっとも、代行者である自分も秘密裏にことを片付けるのだから、不可能ではないんだろう。
 
 そうでなければ世界は大混乱に陥り、風刺絵のような皮肉った世界に濁りをもたらす。
 その色は濁った灰色だ。 肯定派と否定派、擁護派と殲滅派。 歪んだ世界には必ずしも、はあり得ない。

 この報道は加熱するかのように、明日にはまた、冷めているのであろう。
 何事もなかったかのように、また穏健な日々が、喧噪にみちた穏健が世界には広がるのだ。

 シエルは思わず、溜息を漏らした。




 年老いた男は、ゆっくりと立ち上がる。 杖を持っていないらしくその足取りは危うかった。

 そんな男をシエルが助けに行かないはずもなく、改札に行くまで肩を貸してやると、老人は謝辞を述べて去って行く。


 既に、その余波は現れていた。
 相当の被害にあったであろう凍りついた町は存在を無視されて、国鉄は何もなかったかのように運転されている。
 
「世界は、こんなにも大きな抑制の元で動かされているんですね」

 辿りついた駅に人影はない。
 視線を険しくし、シエルはいつでも戦闘が可能なように、一冊の聖書”第7聖典”を手に取った。

 肌に触れる微風は、確かに、冷たい。



















「公園か――」

 そういえば――と祐一は思った。

 ひとしきりの散歩で、見出せる答えなどない。 一方で募るのはわだかまりばかり。
 
 
 『――っ。 相沢 祐一=48の王は、覚醒しました。この男は罪人です。 速攻に制裁を加えるべきでしょう』

 『フフフッ、もう、何もかもが手遅れですよ。
 蝕まれてあなたは48の王へと姿を変え、自分すら殺めて、愉悦を知ってしまう』


 もう、何度目かの茜の言葉は余韻となり、自分を損なわせる。

「……」

――立っていることに、歩いている事にすら意味がないのかもしれない。
 考えれば考えるほど、俺は悩み続けてしまう。

 では、ここで立ち止まったらどうだろうか?

 俺は、聖刻を使い、自分を侵し続けた。 それすらも、実は何も意味を持たないことであったか?
 立ち止まれば、それが、何もかも、うそ臭く思えてしまうだろう。

 詭弁にも見えて、それは、余りにも儚い。
 一輪、今目の前にぽつんっと、自生し蒲公英を見て、その綿毛がとんで行く様をみて……。
 残された身体が、ただ、空しく踏み倒されることを把握して――。

 自分がいかに無価値な存在に成り下がったかを俺は理解した。

 俺は、聖刻という存在を有していたから価値があった。
 48の王としての価値は今のところ、どこにも存在しない――。



 辛うじて、自分だけが、死にたくない。 と必要としているからここに佇む。
 祐一の歩調は次第に弱まり、綿毛を飛ばした蒲公英の前で止まる。

 堪らなく、愛おしく思えた蒲公英を、祐一は摘んだ。
 
 液体が祐一の皮膚に軽く湿気を与える。





「フフッ、祐一、迎えに来たよ」


 
 聞きなれた、そして、本当に懐かしく思えてしまう声だった。
 ほんの数日あっていなかっただけだというのに――。

 公園の砂利はぎざぎざで、足音が擦れる。
 とんだ眩暈感が自分に襲い掛かるのを祐一は肌で感じた。

 息を切らせて頬を赤く染めている、走ってきたのか、滲んでいる汗は額に滴っていた。
 その感じが嫌なのか、名雪は青い前髪を掻き揚げると、汗をハンカチで拭く。

 じぃっ、と嬉しそうに祐一を見つめたまま。

「名雪――」

 思わず、祐一の口から歓喜にもにた声がもれると、名雪は祐一に更に近づき、微笑んだ。

「会いたかったんだ。 お前に」

「うんっ、わたしも、祐一に会いたかったよ。 大丈夫。 もう、祐一を1人にはさせないから」

 旋風が、何事もなかったかのように、足元を梳く。
 蒲公英は旋風の凍てつく冷ややかさに負けて、即座に枯れていった。

 祐一のこの先を暗示しているかのような地獄変。
 
 名雪の瞳は潤んでいるものの、どこか人としての気配が欠けている。
 欠陥だらけの祐一の精神には、その穢れすら見つめる事ができない。

 ただ、嬉しそうに少しこけた頬を引掻き、名雪へと歩み寄った。

 離しはしない。 盲目な答えが名雪へと祐一を歩かせる――だが、祐一の手は名雪に触れる事はなかった。

 空っぽに、祐一は冷たい水滴が手を潤す。

「……名雪、どうしたんだ?」

 口をつぐんで、名雪は祐一を見た。
 嘘みたいに冷ややかでどこか物憂げなその瞳が祐一は幻想する。
 やや、俯き様に、名雪は、ゆっくりと口を開いた。

「祐一、目を閉じて」

 どうしても――その応えは早急に自分を求める。 焦燥などそこには存在しない。
 名雪は、名雪だ。 従姉妹であり、そして今自分がもっとも必要と考えた存在。

 否応なしに祐一は片言な返事とともに目を閉じた。




 白い雪化粧が祐一の体をうっすらと包み込む。 シアワセ、という心地よい気配が――、
 祐一の意識を朦朧とさせていく。

「ねぇっ、祐一」

「何だ?」

「目、絶対開いちゃだめだよ? 開いたら――もう口聞いてあげないからね」

 ……祐一は頷くと閉ざされた目蓋がかすかに揺れた。



 満足げに名雪の頬は孤を画く。 銀色に縁取られた公園には雪が降りしきっていた。
 そして、名雪の唇はゆっくりと、祐一と重なる。

 短い口付けを済ませると、名雪の中に愉悦感が訪れる。 もう、誰のものにもなりはしない。
 あとは、こうして、祐一が自分のもとへたどり着いてくれれば……。



「――どうしてだろうな。 俺、お前に癒されたいはずなのに、感情が昂ぶるんだ」

「えっ?」

 祐一はゆっくりと目を開けた。

「お前、本当に名雪なのか?」

 いくら手を伸ばしても、そのさわり心地の良さそうな頬に触れる事はない。
 抱きしめたくなっても虚無だけが残る。

――本当に、名雪か?

 真実を知るよりも早く、祐一の優れた機知はその体を横へと飛びのかせた。

「そうっ、やっぱり、この体じゃ、祐一には届かなかった」

 泡沫の夢――落胆の色を浮かべる名雪はそんな風に見えた。
 銀世界に名雪の姿は霞んでいく。 今なら間に合う――手を伸ばそうっ――。
 重いとは裏腹に、自分自身への抑止力が働いた。

 これも、48の王の余波なのであろうか? だったら本当に、のろわしい。



「くそっ――結局、俺は何もできないじゃないかっ!! 能力? ふざけるな。
 名雪にすら届かない。 俺の憤りは――なんて屁理屈なんだよっ!!」

 内心の苛立ち。 祐一は初めて自分を殺してしまいたいと思った。



 目を見開き、右腕を突き上げる。
 邪魔な布を引き剥がし、素肌をあらわにした右腕にはもはや聖刻は存在しなかった。

 ふっ――もう、何度目だかの自嘲を祐一は漏らし、ただ、自身へと問いかける。

――見せてみろ、48の王という存在を!!!!!


 





 悲しそうに響く、だれかの掠れ声。

 白く鋭利な、数千本のうねりが祐一を覆い隠し、その拳は白銀の剣を思わせた。
 
 もし、声の主、月宮 あゆが祐一を食い止めなければ、祐一は死んでいただろう。

 掠れ声で、それでも必死に泣くのを堪え、あゆは祐一を凝視する。
 逆に、祐一は真っ向からあゆを見ることが出来なかった。




「お前、何で、ここにいるんだよ――」

「アルクェイドさんに、譲ってもらったんだよ。 後で誤っておいてね」

「……」

「ボク、あの後、ずっと考えたよ。 悩んだんだよ。 それで、祐一くんを探した」

「――勝手なやつ」

「うんっ、ボクは勝手だよ」

 祐一を包む白い光は薄れていく……。

「祐一くん。 栞ちゃんに激昂しようとして、ボクは思ったんだ。
 解らないときのもどかしさとか――他力を疎む気持ちとか……」

 
 ……あゆは祐一に伝えたい言葉を持ってきた。
 励ましたいと思った。――だが、余りにもそれは蛇足で、早すぎたのだ。

 言葉一つ紡ぐたびに、祐一の心の棘は卑下された。

 感情のテンポは理不尽なまでに揺らぎ、そしてその場から祐一を奪い去る。



 それが、名雪のかけた魔法だった。


 祐一は名雪の魔法にかかる。 

 依存心の偏屈という名の歪みは、祐一の中で以前より根強く再形成されてしまったのだ。
 ふと、一瞬緩んだ心は即座に硬直し血栓を作り、心を詰まらせてしまう。

 だから、あゆの言霊は祐一には、決して届きはしない。

 無言のまま、祐一は走り出した。

 あゆを殺さない。 殺せない。 殺させはしない。
 知らぬ間に働いた自制心があゆを救った。

 そして祐一の足取りを更に重いものへと変えていった。











「祐一、あなた、どうしちゃったのよ!」
 
 祐一は決して振り返る事はない。
 その後姿を、アルクェイドは呆然と見つめた。




 ショックだった――走りさる祐一の姿を追うのは容易だ。
 だが、単純に、祐一が振り向いてくれないことにアルクェイドは焦燥し、そして動けなくなる。

「どうしてよ――」

 屈辱、そんな言葉で表せるなんて思えないこの複雑な気分は何なんだろう?
 隔たりのようなものを覚えてしまうこの孤独感はなんなんだろう?

 走り去る祐一の小さくなる姿を見つめ、アルクェイドはアスファルトに膝をついた。
 追わなくてはいけないと思う。 だが、迷っている。

 祐一を追う理由が見当たらない。 もし、もう自分に構ってくれなかったらどうしよう。
 
 

 ぼすっ……。


 
 アルクェイドの背にあゆが顔を埋めてきたのはその矢先の事だった。

 祐一に、結局何もできなかった。 自分なんてその程度の存在であったことが、あゆ自身を傷つけた。
 アルクェイドは初めてあゆの気持ちに触れた気分だ。

 ぼろぼろに、プライドを傷つけてないと本性を見せない存在。
 人間――。 真祖である自分はこんな人間になれるのであろうか?

「行ってよ。 アルクェイドさん」

「えっ?」

「ボク、泣かれている姿を見せたくはないんだ。 あと少しで泣いちゃいそうだよ。
 ボクには祐一くんを救うこと、できなかった。 でも、でもね、アルクェイドさんはできるんだ。
 だって――」

 あゆは一度息を呑み、どこか、諦めたような口調でぼそり――。

 「だって、祐一くん、アルクェイドさんのこと、好きだから」
 
 呟く――。
 
 何か抽象的なものが崩れ落ちる音がした。



























 ぷっ、ぷっ、ぷ〜〜〜〜〜〜〜〜!

 舞の後ろを凄まじいクラクションの連呼で合図する一台の異形なバイク。
 疎ましく思い、舞はテクニックの限りを尽くし、逃げているのだが、ついてくるのだ。

 剃刀色の鋭い目線は垂れてしまってどこか情けない。
 デレデレ〜っと舞の困った顔に斉藤は心酔した。

 赤信号が青に変わった。

 舞は走り出す。

「待ってくださいヨ〜」

 呑気な声は時速180キロで展開されるチェイスを忘れさせてくれた。
 ただ、なんでこんなことになったのか、舞は理解できない。

 買出しに向った。

 街に出た。

 飲食にファミレスに立ち寄った。

 窓越しに、一台のバイクが止まった――。

「か、わすっみせんぱ〜〜い♪」
 
 この男には少し話しを聞かなくてはならない。
 この前の話し、なんで自分を先輩と呼ぶのか、それと、今後の処分について――。
 





「はぇ〜、ライバル登場ですね〜」
「水瀬 秋子……」
「バカ……だいっ嫌い」








 とっぷ