第53,5話




 ごぽりっ、ともれる体液はごつごつとした岩肌に付着し、黒薙の足跡を軌跡としていった。
 想像以上に再生速度が崩された。 難攻不落の難題には必ずといってもいいほどに盲点が存在する。

 数学式にしてもそうだ。
  一定のパターンさえ身に着けてしまえば過程を省く事さえしなければ理解可能。
 だからといっても、黒薙の肉体は数式とは違う――しかし似通っていはいた。

「がぁ――」

 自分がここまで崩壊させられるなんて予想だにしていなかった。
 水瀬 秋子にも譲歩を聞かせていた感のある黒薙だ。

 こんなこと、計算外。 傷ついた肉体は長い休息を否応なしに求めざるを得なかった。
 これほどの屈辱、味わった事はない。

「相沢 祐一――」

 逃げ様に水瀬 秋子の記憶の断片から引き出した情報は自分を凍えさせる。
 それだけじゃない。 親近感すらもたらす。
 
 黒薙にとっての親近感は処分に値した。
 何故なら、彼はそれを奪い、その代価を得たかったからだ。

「次は、殺す……」

 

 墨汁のように濃い吐血の後、黒薙は足を崩し、その場に座り込んだ。



 ここはどこなのであろうか……。
 黒薙は自分の身を隠すため世界中に万単位の隠し場所を有している。
 それは時として断崖絶壁のがけの岩肌であり、時として廃屋でもありえた。

 この場所はちっぽけな島国の洞窟。
祐一に負わされたダメージのせいでそれほど遠くにはいけなかった。

 苦しい――という気分を覚えたのは幾年ぶりであろうか? 臓腑など存在するかも解らない。
 だというのに、全身が悲鳴を上げ、それでも修復に取り掛かっていた。
 ……。

 黒い岩肌に寄りかかる黒薙は首だけを横に向け、微かにもれる光の方向に影を察知する。
 ぎりっ、と鋭い犬歯を噛みつつ、警戒を強めた。



 ――反響する足音。 そして、その影に黒薙は嫌悪を覚えずにはいられなかった。

「……まさか、お前が直々に尋ねてくるとわな」

 無様に傷ついた存在に一縷の感情すら見せない眼鏡越しの鋭い眼光は黒薙を見据えた。

「久瀬、いや、影月か? お前、本物だろう? どうした? 口も聞けなくなったか?」

「――死人にかける言葉など、存在しない」

「はっ?」

「お前は、何度となく死を体験し、そして今や亡霊と成り下がった存在だろう。
しかし、死を受け入れた存在が、随分と傷ついたものだな」

 侮辱と、嘲笑を交え、久瀬はせせら笑う。
 黒薙にこの存在と戦おうという気力はからっきし存在しなかった。
 無気力にただ、自身を黒薙は笑う――懐かしい話だ。

「あの頃を、懐疑してしまうほどにありえた時代の話か」
 
 憧憬を見つめるかのように、一瞬黒薙の瞳に生命は宿る。
 そして消滅。

「いずれにしろ、君も僕の舞台で踊るべき存在に他ならない。 これは革命だ。
 予定通りことは進んだよ。 多少の誤差は承認すべきか」

「――神区域を、お前はまだシガラミに生きて行くのだな」

「全てははるか昔よりあそこに帰結する」 

 
 夜の闇が次第に全てを侵食するように影月もまた黒く染まった。
 久瀬はそれを見届けると一度瞬きをする。

 あたかも、亡者の存在を見過ごすかのように。












「白と黒――僕の喜劇その幕間に相応しい駒が揃った」

「――」

 消沈気味のアルクェイドに向い、久瀬は歩み寄ってきた。
 クククッ、といういやみったらしい笑みはアルクェイドの癪にさわった。

「白とは、アルクェイド・ブリュンスタッド、君だけではない。 相沢 祐一、水瀬 秋子。
 そしてもう1人――。 未だ覚醒し得ない存在だ。
  彼女が目覚めた瞬間より舞台は新たなる局面を見せるだろう。」

 


 あゆの一言はアルクェイドを突き刺して未だに自身を標本台にピンセットで捕らえている。
 「祐一くんは、アルクェイドさんのことが好きだから」

 第3者、それももっとも身近な存在月宮 あゆの一言はあまりにも信憑性が存在した。
 本当だろうか? 疑うべきは祐一であり、あゆではない。
 自分の心であり、祐一の心ではない。

 とてつもなく、今まで手に入れたことの無い膨大な量の情報を受け取ったかのようにアルクェイドは眩暈を覚え、
 一瞬体がぞくりっと震えた。

 まったく体感したことのない刺激に自身が発汗しているのを覚える。
 それも軽いものではなく、ゾクッとするほどの甘い香りのする香水のようなもの――。

 ばちんっ、とはじけてしまうような存在だ。


「アルクェイドさん――ごめんね。 ボク、弱いから、真っ向から祐一くんにいえない。
 卑怯だからアルクェイドさんに言っちゃうんだ」

「……」

「振り向かないでね。 泣き顔は見られたくないから」

「ねぇ、あゆ――教えて。 わたしはどうすればいいの?」

「それは、きっと、アルクェイドさんにしか答えは見つからないと思うんだ。
 今出るかも知れないし、何百年も先かもね……うぐぅっ、祐一くんはきっと知らないと思うよ」



――本当だわ。 アイツ、知らなかった。 一番知りたいのに何も教えてくれない。
 祐一はイジワルなんだろうか?

 祐一をバカにしているというのに、それを嫌悪するアルクェイドが居た。
 何も言わないのではなく、言う必要がないだけ――。

「わたしも、迷わなければいけないのかしら?」

 だいっ嫌いな全てのために、まだこの先を知る術は残されている。
 まだ、月が煌々と輝き続けられる以上は――。

「……あれ、確か何かいたような気がするんだけど」

 まぁ、いいか!

 アルクェイドは立ち上がった。 その顔は先ほどと変わらずどこか心もとない。
 祐一を追おうとはどうしても思えない。 何故なら自分も今迷いを抱えている事を知ったから。

 それは誰かにゆだねるものでもなく、拒む必要もない。
 歩き続ける糧だ。


 そう、祐一とアルクェイドは必然の関係で結ばれた存在。
 引かれるのではなく世界というなの無機軸なロジックが彼らを引き合わせる。



 それを、運命というのなら否定する。

「根拠のないことは、俺は信じたくない」

 かつて、祐一はアルクェイドにそういった。
 だから、この物語は決して運命などではない。 歩みの中の過程が起したある命題だ。


 あるいは奇蹟ともいう。



あとがき

 黒薙の安否をいれとかないと拙いかなとか、久瀬は何してるんだ!
 とかをいれるため53.5話です。

 


 

とっぷ