第58話
だから、琥珀は佇んでいた。
今日まで数日。 きっとアルクェイドは自分のもとに来てくれるのではないか?
という核心めいた予感はどこかしこにもない。
ただ、自身の胸の内にだけ感じるのだ。
これも、また1つの紡がれる繋がりなのであろうか・・・・・・・・?
「――姉さん。 また、今日も?」
この森は暗い。
夜ともなると草木すら寝静まり、”夜”を演出するのだ。
琥珀は志貴に白いリボンを渡した。 今日、琥珀はまたその木の根元に1人佇んでいる。
翡翠はその光景を見守った。
”勝手にしなさい”
琥珀は考えた。 秋葉が言う言葉の真意を知っているがゆえ、考えた。
自分はあまりにも利己的ではないか?
ご都合主義ではないか・・・?
翡翠の言葉は琥珀には届かない。 うっすらと月は蔭り、翡翠の姿は影となった。
――姉さん。
あの場に自分は居合わせて居なかった。 ただ、惨状を僥倖だな。
という気持ちがどこかにある。
翡翠はそれが愚かしく感じられたし格好の嘲弄だった。
自身すら嘲ずにはいられないだろう。 臆病な人間はいつまでたっても臆病。
ただ、それでもいいと思う。 違うのは”志貴”を視止められない事。
心苦しい夜をまた過さなければいけないのか?
そう思うともはやこれは毒だ。
言論の呪いというなの”毒”だ――。
「翡翠ちゃん」
「――!
姉さん!!」
今宵、数日ぶりに翡翠は琥珀の声を聞いた。
うっすらと頬の肉は落ち、それは最近の絶食具合を物語っている。
琥珀は喉も通らないほど傷を深めていたのだろう……それすら翡翠は今まで気付かない。
いつも、いつも、いつも!!
身勝手な姉だろう。 だが、翡翠にしてみれば、最愛の存在の1人である。
「翡翠ちゃん。 ゴメンね。 ここのところ勝手にしてもらってて」
「――いいんです。 姉さん」
「ほら、泣かない、泣かない。 フフッ……。
アルクェイドさんが来るよ」
「えっ?」
「やっと、わたしは、抗いを始めることができる」
とんっ、と勢いよく琥珀は木を蹴って、翡翠の手前まで歩いた。
数分、2人は焦点の合わない見つめ合いをした後、琥珀の方が崩れた。
ふっ――と笑みが翡翠の後ろへと向けられる。
翡翠も自然につられる事なく後ろを振り返った。
くるりっ→。
「おはよう、琥珀」
日付は翌日へと移り変わっていた。
どこか拍子抜けだが、それでいて矛盾は覚えない。
アルクェイド・ブリュンスタッドはあたかも樹木に溶け込み、それすらも支配下に置くかのような圧倒的さで、
寄りかかりそこに存在した。
気が変わった。
それがアルクェイドの言い分だ。
――自分にやれる事は? そう問われたとき、自分は何もしなくてもいいという結論。
常に自分本位で生きている存在であるアルクェイドのとって琥珀はどうみえただろうか?
少なくても昨日までは記憶の片隅にしか置いてい無いような悲劇のヒロインであろう。
3文オペラと同価値ですらない。 恋人に裏切られ敵対する。
そして離れる。
自分には何もできない他力本願。 なんて都合の良い話か。
だけど、アルクェイドもまた恐怖を覚えた。
祐一という存在を失うことへの再沸。
狂おしいほどに大嫌い? な祐一は今どこにいるのだろうか?
もう一度会うことになるその時、自分はそれまで何もできてい無いのでは――琥珀以下だ。
時間は過ぎて行く。 琥珀とアルクェイドの時間は同じだ。
共有する限り、生きている時間は同じなのだ。
たとえアルクェイドに先があって、琥珀に先が無かったとしても。
だから、アルクェイドは琥珀に接近することにした。
幸い、いや必然に、琥珀は待っていてくれた。
自分が頼られたのは生まれて初めてだ。
だから嬉しい。 タンジュンな方程式のもと、アルクェイドはそこに現れた。
そして深呼吸。
「わたしは迷ったわ。 迷わないけど、迷ったの」
「――志貴さんのことですか?」
「志貴を取り戻すのは、そんなに難しいことかしら?
むしろね、わたしはあなたとわたしについて少し考えたの」
自分を指差すと琥珀は難しい顔で眉を潜めた。
困ったなぁ、という印象である。 なんと、アルクェイドは志貴の一件を瑣末扱い。
むしろ、自分とアルクェイドの事の方が重要だろう。
というのだ。
何が重要なのかも理解していないというのに。
「琥珀は、そうじゃないのね。 ――でもね、聞いて。
時間は動いているの。
動いている時間と止まっている時間、どっちが大事かしら?」
「たった今動き出した時間は、わたしには赤ん坊みたいに見えます。
でも、正直、志貴さんとの止まっている時間は偶像――神々しくみえるんですよ。
どっちも愛おしくみえて仕方ないんです」
それは、考えていなかったわ。 と、言い終えるとアルクェイドは唇を尖らせた。
そして、視線を翡翠に移す。
察知した翡翠は軽くアルクェイドに会釈をした。
「初めまして。 翡翠と申します」
「おはよう&初めまして。 アルクェイド・ブリュンスタッドよ」
○
アルクェイドは秋葉の待つ荘厳とした空気の漂う部屋へと通された。
遠野 秋葉の自室である。 ネグリジュ姿の秋葉もまた、疲弊感の漂う表情を浮かべていた。
ほんの少し前までなら、秋葉も個人的に志貴に関して調べ上げ、独力で処理を担当しただろうか?
わかりはしない。 事実は闇。 今、この現実が肝心だ、と秋葉は思う。
かちっ、と刻はまた1つ進んだ。
「紅茶でよかったかしら?」
旧年来の親友をもてなすかのような面持ちで秋葉は自分から進んで用意を始める。
今、ここには秋葉とアルクェイドしかいないのであった。
アルクェイドは用意された座り心地のいいソファーに座り、軽く目を瞑る。
「ええっ、何でもいいわ」
「解りました」
ここはあまりにも簡素だ。 典雅なつくりには随処目を見張る箇所もあろう。
だが、何も趣味とかそういうもので飾られた気配”人の息吹”を感じられなかった。
まったく不思議な話し、多芸多趣味高嶺の花、とまで賞されるであろう令嬢の部屋はあまりにも簡素だった。
いうならば筒抜けだ――。
秋葉がお茶お入れてくれるまでかなりの余裕があり、アルクェイドは整理をつけると、
そんな秋葉の部屋をぐるりと見回してみた。
「……少々解せないところがあるんです」
「何?」
「どうして、あなたが琥珀の前に現れ、自分から協力を申し出てきたのか、ということ」
「別に、理由なんてないわよ。 気が変わっただけ」
「そう――」
それを聞いて、秋葉はほっと胸を撫で下ろした。
こぽっと秋葉は2つのキレイな絵柄のティーカップに紅茶をすすぐ。
その琥珀色の透明な色はアルクェイドの目を鏡みたいに移した。
――……。
今まで、自分がどんな表情をしているのか、なんて見たことがないがいつもこんな顔なのであろうか?
にぃっ、と場違いにアルクェイドは口元をひっぱってみた。
かたんっ――とポットはテーブルに置かれ、変わりに秋葉の訝しげな視線がこちらを覗いた。
「あなた、本当に、やるきあるの?」
「もちろんよ」
「――どうして、あなたには力があって私には力が無いのかしら?
運命はとても不公平すぎます!!」
突然、ヒステリックに秋葉は罵声を上げた。
――空気は一気に険しくなった。 もともと自分の知る遠野
秋葉はそんな印象だったが……。
「あっ――ごめんなさい」
そこには焦燥感が満ちている。
焦燥感の具現はあまりにも遅すぎることの明示だ――秋葉のあせりは既にピーク。
何もわからないのに、本当は泣き出したいくらい悔しいのに、取り付く島はどうしてこんなにも余裕なのか?
どうして、こんな存在に自分は頭を下げるのか。
「遠野 秋葉――志貴の妹だから、妹、でいいわね。
いいわ、妹。話、進めましょう。
紅茶が冷めないうちに」
「――ありがとうございます」
睨み付ける。 屈辱だ。 アルクェイドの同情にも似た感情に人間全存在を否定された気分だった。
仙人とか、アルクェイドを見知った人物意外この言葉の真意はわからない。
同情、などではない。 アルクェイドは単純に諍いがめんどくさいだけ。
人間の煩雑とした感情の波が苦手なのだ。
それすら空しく――意味などない。
話し合いは朝方まで続いた。
○
が、かはぁ――。 ようやく呼吸は再開された。
空気が全神経を駆け巡る。 汗ばむことのない体は土気色。
心魂ともに疲弊しきった斉藤。
その目は魚のように死んでいた。 だが――ようやく光が立ち込めてくる。
「ぐっ――はぁ」
わき腹の負傷率ならびに損壊率、統計。 48パーセント。
危急を要する。 ……無理な話だ。
それゆえ、決して安堵の気配は斉藤には享受されないのであった。
あと一ヶ月、そういう期限に関しては興味はない。
ただ、今生きてい無い感覚が嫌いだ。
自分は何をするべきか。 この短い月日で斉藤はようやく、悟る。
そもそも、あるいは、これこそが自分のあの男への報復なのでは?
そんな確証すら今の斉藤にはあった。
死が迫り、自分の考えが28度ほど転換され、目的を悟る――なんて皮肉な事か。
もう少し早く動いていれば、あるいはこんな結末に繋がる事はなかっただろう。
だが、まだ物語りは(斉藤のことをさす)は半ばを通過したくらいだ。
走っていけば、そう、きっと掴み取れる。
「……大丈夫?」
「――ああっ、全然以上なしだヨ……川澄先輩」
あの時、舞が来ていなければ斉藤はのた打ち回る、あるいは潤に――考えたくもない。
少なくても、舞に数時間に渡って斉藤は監視されていたというのだから驚きだ。
それすら舞にしてみれば当然らしい。
あの場で退くのは理にかなっているようで蒙昧だ。
それが舞は気がかりだった。 あれだけしつこく付回したのだから――。
案の定、斉藤は再び姿を現した。
気配を消したつもりだろうが、その程度、舞にしてみれば甘っちょろい。
壁際に潜み聞き耳を立てていた舞だが、真相は結局掴めずじまい。
そういう思惑もあって、斉藤を助けたのだ。
「ハハッ、でも光栄です。 川澄先輩に助けてもらえるなんてネ」
「……そう」
と、舞は踵を返した。
「あの、どこへ?」
「佐祐理のところ。 ――気が向いたら、また来るかもしれない」
「それじゃ、楽しみに待ってますね♪」
舞は去っていく。
影が見えなくなるまでその姿を見つめていた斉藤は突然起き上がった。
鏡へと向い、今やくしゃくしゃになり染髪料も落ちた黒髪を見つめる。
随分と長い逃走の日々は、まだ終わらないのだろうか?
嫌にはならない。 なるはずがない――自分の望んだ道だから。
前髪を掻き揚げるようにして、置いてあった整髪量で髪をオールバックに固めた。
それから冷たい水で顔を洗うと、斉藤は歩き出す。
「すみません。 川澄先輩――身勝手に、行かせてもらいまっす♪」
外にでれば、まだ東雲色の空が広がったばかりの朝方だ。
バイクは相変わらずの異形。 街を走れば目立つのは必須な大胆奇抜なデザイン。
それに斉藤は跨った。
斉藤は、向こう側へと向った。
The Last Moon!
「黒薙」
「ここでおしまいだ」