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第62話
衝動が顔の無い黒薙を襲った。
全身を巣食われる? ……そう喰われている。
全身がものの見事に膨れだしたのだ。
――な、なんなんですか? この男は。
シエルは我目を疑わざる得ない。 目の前の男の破天荒なまでの攻撃に――。
触れただけで黒薙を部分的に消滅させ、今では首の無い黒薙は充血、紫色になった親指のように腫れあがっていた。
「……ちっ、想像以上に厄介な代物を」
「僕はこの世界にはいてはいけない存在だ。
そして、君もな」
「――、面白いことを言うじゃないか。 では、俺はどこへと向えばいいのかな?」
ぱぁん――。
首の無い黒薙はついにはじけた。
そして、黒薙の黒を全身に付着させた司は目を瞑り、ふぅっ、と一息――その目を見開いた。
「どこにもない。 君は存在してはいけない。
僕と同じように」
司は走り出した。
「小ざかしい――黙れっ」
突き抜ける黒い闇が司を飲み込もうと画策するがそんなこと無駄に等しい。
闇など既に司にしてみれば瑣末な存在に過ぎないのだ。
彼のいた世界。 偽りのオブジェで塗り固められた世界で司は生きていた。
そこに比べれば闇などただ視界が暗転したに過ぎず、フィードバックに恐れる必要など感じられなかった。
もっとも恐ろしいことを司は知りえている。
それは、自分自身を奪われてしまう甘い幻想。
決して漆黒の世界などではない――その残滓を司は黒薙に提供した。
「嗚呼!」
「闇は闇へ――夜の世界にまた訪れればいいだろう。
昼間は君の領分ではない」
加速の乗算、乗算、乗算――。
凄まじい速度をも更に凌駕した光の速度で闇は闇を奪い去っていた。
司自身の心象心理が黒薙の深層に働きかけ闇を侵略する。
闇の休息を与える事は――即ち闇の消滅。
司の闇は光と同質の異物として黒薙には受け入れられた。
恐怖の2文字に制圧され、黒薙は失速を余儀なくされる。
司は汚れを払うように手を一振りし、踵を返した。
雨は更に勢いを増し、それは真実の意味でこの街の氷解をもたらす。
現実にはにわかに信じがたいが神の恩恵であろうか?
生命の息吹が再び吹き返すのをシエルは感じていた。
ただ1人苦しみつつ、粗い呼吸を繰り返す自壊者”相沢
祐一”という名の木偶を除いては、世界は再び循環を始めるのである。
それが森羅万象。 理だというのならば、正義という言葉で語り付くされた陳腐な言葉は種々存在する。
この世界は時々都合よく、時々イジワルだ。
シエルは物憂げに祐一を見つめる司に不信の念を募らせつつ、そう思った。
○
――”死”を俺は意識した。
全身の倦怠感はもう世界の終わりを告げるに等しい1存在へと立ち代っている。
代わりばえしなかった日常への遜色はそんなに薄れてはいないというのに自分は変わり果てた。
あるいは代わっていないのかもしれない。
○
屋根瓦が雨を弾く音がしんしんと木霊する。
余りにもここは静かであった。 潜りの医者がやっているためか一軒家にしか見えない赤い屋根の家。
シエルの骨折、祐一の自壊は司の提案でここで休息をとることでまとまった。
生憎? いや当然この家には3人しかいない。
医者はいるにはいるのだが寝ているのが現状である。
「――城島 司」
「えっ?」
「僕の名前だよ――君の名前は?」
「シエルといいます」
一瞬、この明らかに妖しい男に名前を教えるのは疑問視の範囲だろうと思いつつシエルは名前を教えた。
これからのことを感がえると名前の1つも教えないのはコミュニケーションに支障が生じる。
それに仮にも命の恩人なのだ。
司はまるで自分の家であるかのようにこの家を知り尽くしているのか包帯からコーヒーまで全て彼が用意してくれた。
そして、司の腕はシエルに伸びる。
「ひゃっ――」
「黙っていろ。 触診するだけだ」
「……」
シエルは司を睨みつける。 冗談じゃない。
何故に見ず知らずの男に裸身をさらさなければならないというのだ。
やはりこの男は用心ならない。 ―― 一瞬でも気を許せない。
「安心しろ。 僕は君に興味は無い」
「でも、男でしょう?」
「……ある人以外、僕は女性に興味は沸かないんだ。
君の体くらいみたってな。
それに、僕はそんな下品な人間ではないよ」
溜息まじり呆れ混じりに司が息を吐く。
「固定も何も、本来不条理な力を使わせてもらうんだから、脇を触診する。
――やはり許可は必要か」
――何、そんな恥ずかしいセリフを落ち着いた顔で言っているんですか。
逆にこっちが恥ずかしくなってくる。 ……ええい!
儘よ。
「解りました。 下手な真似をしたらころしますからね」
「心得た」
スッとシエルは上着を持ち上げた。
丁度乳房が見え隠れする辺りまで服を持ち上げると紫色に染まった皮膚が姿を覗かせる。
内出血が酷いのは明らかで、痛々しいものであった。
司がシエルの皮膚に触れると、彼女の全身が波打ち、紫色が引いていくのが目で解り不思議な気分だ。
シエルの治癒能力は自分にも働くものの内部に至れば効率は悪くなる。
どちらにしろ自分の怪我を一瞬で治してしまう司により、不信感を募らせた事実は変わらない。
ただ、すぅっ――と清閑な感触が体を突き抜ける錯覚を覚え――痛覚は去った。
「……」
自分はなんて恥ずかしいことを……。 思わずシエルは顔を朱に染め沈黙。
「――気を抜いていられるのは今のうちだ。
何時まで服をあげている?」
「なっ――!」
フッと勝ち誇った表情を浮かべ、直ぐに司は踵を返した。
重傷者はシエルだけではない。 もっと酷い祐一がここには存在するのだ。
そうふざけてばかりできない。
司が去って行くと、シエルにどっと疲れが去来した。
――本当に喰えない男です……。
「アハ、アハハ」
思わず空笑い。
○
光が無く寂しいこの部屋はまるで霊安室のようだった。
場違いな涼しげな風は通気孔からもれていてヒンヤリとしたこの部屋に祐一は眠っていた。
浅すぎる眠りは直ぐに覚め、ここがどこであるかも今でははっきりわかる。
どこか知らない場所だということ。
「寝ているかい?」
――?
見知った、だが聞こえるはずが無いその声に祐一は顔を曇らせ、思わず横を振り返った。
……どうやら夢を見ているらしい。
祐一は決め込みそしてまた目を閉じようとした。
「悪いが、夢じゃない。 ここは現実だ――」
「はっ、はは、たちの悪い冗談は止せよ。 どうしてお前がここにいるんだよ。
司」
「夢だというのなら、君の右腕を見てみろ、祐一」
「……」
司のいる”向こう側”では祐一の右腕は様々な要因が重なり消し飛んでいるのだ。
それゆえ、ここに祐一の右腕が存在するなんてあり得ない。
……。
祐一は不承不承ながらも信じざるを得なかった。
最後に思いっきり頬を抓ろうと思った。
……腕が上がらなかった。
「くそっ――」
腕だけじゃない。 顔と首以外の全身が悲鳴あげている。
エネルギーが完全になくなるまでギリギリである上に、恐ろしいまでに血を失っていた。
それに48の王に再覚醒したということも要因から排除するのは困難である。
「その体たらくでよく生きていたものだ。 ゴキブリ並みの生命力と騙されるのには人一倍長けているな」
「――騙される?」
「気付かなかっただろう? どうやってここへ来た?」
「ただ、歩いて――」
そんなこといい訳にしかならない。 目の前にいる存在は超越している。
余りにも肉体と精神がかけ離れているが故、そんないい訳通用しない男だ。
――解るわけないじゃないか。
それが祐一のアンサーだった。
正直何がなんだかさっぱりなのだ。 ここ数時間の記憶はすっぽり抜け去っているかのように。
あの、おぞましい光景は脳内にひしひしと聖刻のように刻印されたままだというのに。
降参、とばかりに祐一は司の目を睨んだ。
「ここ、あるいはこの先に、君は向うはずだったんだろう。
余計な記憶を廃絶し、全てを失い」
「――……」
正確には、アルクェイドと別れた後の記憶がなく……あゆに酷い事を言った記憶が強烈なインパクトとなり正に自暴の道化に再び祐一はなりかけた。
だが、祐一の手は動かない。
思わず息を呑んだ。 自分は今、何をしようとした?
自分を傷つけようとしただと?
ぴしっ――。
ぴしっ――。
警鐘のように祐一の何かにヒビが入る。
目は狼狽に支配されただただ、漠然とした荒野が視界に広がったかのように何も見えない。
祐一は恐怖の根源と対峙したような気分へと陥った。
じわりっ、と背筋には冷や汗が浸透しだした。
「僕は、茜とそして君のことを見ていられなくなった」
「――よせっ! 俺は結局何もできないで、誰かを傷つけることしかできない。
俺は――大切な人間を踏み台にして生きているような存在なんだよ……」
「それは、僕も同じらしいな。 いや、霊長らはみなそうだ。
むしろ、それを恐れる君は無様だよ。
祐一――」
「何とでも言え。 俺は、歩く事すらできなくなった。
もう――何もできない、
そうだ、いっそ殺してくれないか? お前ならできるだろう?」
「……ああっ、そうだな」
○
あるいは、司はそのために来たのかもしれない。
そう思った。
ここで相沢 祐一を殺すために自分来たというのなら都合がいい。
同種の人間が自分の隣に。
どれだけそれは心地のいいことか――。
だが、そんなこと夢想にも等しい愚の骨頂であった。
自分は意思で世界を捨てた存在だというのに、同種を求めるのはおかしい話だ。
馬鹿げている――。
空しさで司の顔は煤けた。
――呆れて、ボヤが上がってしまいそうだ。
「僕は君を殺す事なんて容易だよ。 だが、殺せないだろう」
「わけわからないぞ――」
「君を殺したら、僕が生きて生けなくなる。
――僕がここにいられるのはホンの瞬きの間だけだ。
だから、茜を助けて、君を助けるなんて都合のいいことは言えない」
「司、お前――」
「君に会えたのも僥倖だ。 だから言っておこう。
人は償えない。 過去も、未来も、そして現在も。
だから、戦え――それは、君ならできるだろう?」
――そう、僕には決してできない。
まるで擦り付けてしまうみたいな気分だ。
最悪な存在の最悪な横行は、君に届くだろうか?
茜――。
「矛盾してるぞ?」
「矛盾。 矛も盾も最強なのだろう? 聖刻も48の王も互いに相反する最強だ」
むっと祐一は眉を潜めた。
「なんでお前はそれを知ってるんだよ?」
「君は、自分を殺そうとしたじゃないか。 48の王で――」
聖刻は全てを止める。 48の王は全てを活動させる。
祐一は身に永遠に遜色することのない”死”の概念を活発化させて、自分自身を殺そうとしたのだろうか?
あの時の祐一は常識を逸した錯乱をしていた。
今となっては解らない話しだ。
「さすが、”超越”してるよ。 司」
「――あくまでも、これは僕の答えだ。 君は体が治ればまた同じことを繰りかえすに決まっている」
「だろうな……。 俺が今こうしていられるのもお前のせいだからな」
「ああっ。 僕は消えよう。 君はこの程度のことでは諦めないと信じている」
「……なぁ、これからどこへ?」
言うまでも無い話だ。 らしくもなく頭を掻いた司は照れ笑いを浮かべる。
――恩師”最愛の人”に花を添え、茜に顔をだしておこうと思う。
初めての最初で最後であろう、みずかのご機嫌とりは功を奏した。
死は現実なのだということを自分の口にだしたことこそが僕をより冷静にさせる。
認めなければならない。”死”を――。
低俗な僕として。
「俺の知らないお前のことだ。 ――どうせ、お前とは会うことは無さそうだしな」
「そうだな。 僕もそう思う。 これが最後だろう。”常に、誰かのために”。
じゃあな」
ドアは開かれた。 そして閉ざされた。 二度と開かれる事の無い――。
少なくとも司の手によっては永遠に。
「――お前がいうなよ。 アホ」
よく、今まで持ったものだ。 死ぬ――それくらいの激痛が全身を支配した。
呼吸も苦しい。 涙が止まらない――。
「ちくしょぉぉっ!!!」
そして、また元通り記憶は放流し、祐一をかき乱した。
どうして――苦しいんだろう。
手が動けば、首を絞めることができるというのに……!!!
「ふ……ざぁ、け、るなぁ……」
○
The Last Moon!
アルクェイド達のパートを予定(笑)