第63話


 アルクェイドが来てから幾時間か経過し、夜となった。
 
 りーんっ、と耳に心地のよい響きと憩いをもたらす風鈴の音にアルクェイドは目を閉じる。
 何でも家庭問題だ!とかいってアルクェイドは客間へと押し込まれたのだ。
 別段不満は無いのだが……何をしているのだろうか? と気にはなる。

「――はぁ」

 歩き出し、ドアののぶに手を掛けたところで手が止まった。

――やめておけ、と誰の声も聞こえないのに、頭にその声は浸透する。
 
「どうして、祐一の言葉を思い出さなくちゃいけないのよ」

 ぷぅっ〜っと頬を膨らませ、やや立腹気味にも関わらず、アルクェイドの顔は緩んでいた。
 それとなく、何故か嬉しいものを覚えていた。

 だから気分だけで噛み締めていたい。 心地よい風鈴の音はまた、響く――。






○



 四方八方防音設備を完全に施した遠野 秋葉の第二の部屋プライベートルームは遠野家に隣接して存在した。
 遠野家の離れ、といわれるかつての使用人たちの住まいと対を成す位置にそれはある。

 プレハブのようなつくりだが侮る事無かれ、これ一台を作るのには平気で一戸建ての家がほいほい建ってしまう。
 それくら周到に作られた部屋で行われる会話は重要なのだ。

 そう、遠野 志貴奪還プロジェクトについて、秋葉、琥珀、翡翠は話し合っている。

 3人は小さな円卓を構え向かい合うようにして座っていた。

「兄さん、遠野 志貴はアルクェイドさんの報告によると、現在心身消失状態にある。
 これは間違いないわね? 琥珀」

 すっ――年不相応などこか大人びたそれでいて冷ややかな目で秋葉は琥珀をみる。
 空気は重い。 琥珀は黙ってそれに頷いた。

「はい。 わたし自身も体験し、はっきりと解りました。 あの方は、志貴さんじゃない。
 だって、躊躇いも無く人を殺せるんですから――わたしの知っている志貴さんはそんな人ではありません」

「どうかしら――?」

「えっ――?」

 秋葉は琥珀の心底をずぶりっ――とかき混ぜる。
 実際、秋葉には余裕が無いと同じように、ここにいる2人にも余裕はあまり存在しなかった。
 彼が遠野 志貴ではなく、七夜 志貴である確証は現在どこにもない。
 それはどんなに過酷な選択肢を強制しているか、計り知れない。

 なんのっ! と秋葉の言葉を弾くように一息吐くと、琥珀は口を開いた。
 言葉なんて思い浮かばない――とっても脆い彼女の脆さを露にするかのように。

「それじゃ、秋葉さまには、あの方が志貴さんでない、というお考えが?」

「ないわよ……琥珀。 ただ、一抹の希望は見えたでしょう? 頭を抱えているのはもうおしまいにしましょう。
 必ず――この手で。 それが、遠野 秋葉の決意よ」

 無言で琥珀が頷き、秋葉も堅い表情ながら、ゆっくりと頷いた。
 翡翠はそんな2人の姿に拭えない内心を押えるのに精一杯だ。 あの場に自分はいなかった。
 それどころか非常になった、というのに気付きもしない。
 そして――初めて自分がここに居ていい存在なのか、と疑いを覚えてしまった。

――姉さんも、秋葉さまも志貴さまのことを信じている。 それは私も同じです。
 ただ――私には嘘のように聞こえてしまうのだ。 志貴さまが手をかけるなんて……。

 2人の会話が翡翠に届く――嫌なのだ。 目をつむる――見たくない。
 聞きたくない――翡翠は耳を押えて、何も喋らない。

 ただ、無言で1人取り残された世界にしゃがみ込んでいた。
 


 

 数時間が経過した。 ようやく秋葉と琥珀の会話にもめどが見え出す。

「――七夜の森。 そこに兄さんが?」

「はいっ――いいえ、あそこ以外、志貴さんに帰る場所は無いはずです」

「そう。 ――翡翠?」

 翡翠は目を開いた――そして、ゆっくりと押えていた手を離す。
 ゆっくりと顔を上げると、秋葉と琥珀を一度づつ見つめ、そして微笑んだ。
 その微笑みはとても弱弱しい。

「姉さん。 秋葉さま。 私のこの計画への参加を辞退させてもらいませんか?」

「!?、どういうこと? 翡翠――兄さんの命が懸かっているのよ?」

「私には解りません!!」

「ひ、翡翠ちゃん!?」

 ――ぐっと唇を噛み締めでそうになった不満を喉元で抑えると、翡翠は深く頭を下げた。

「申し訳ありません……不束なため、私にはわからないんです。 志貴さまがどうしてらっしゃるか。
 そうして、自分自身にも、今を信じる自身が――ありません」

「……翡翠ちゃん」


「そうっ――。 強要はしないもの。 それじゃ、翡翠は待っていればいいわ。
 兄さんに、二度と会えなくなるかもしれないのに!!」

 ダンッ!

 秋葉は怒り、そのまま部屋を出て行った。
 ――翡翠は頭を下げたままに沈黙を保ち続ける。

「翡翠ちゃん――? どうして、あんなことを?」

 琥珀には翡翠の懇願の意味が半分正しく、半分誤っているように思える。
 だとすれば、翡翠のことを責める理由は見つからなかったし、説得する理由も無かった。

 無情に、時間は流れてしまう。 それだけがもう、嫌だ。

「翡翠ちゃん」

「姉さん、行ってください。 今は、1人で考えたいんです」

「――でもっ」

「私はあなたじゃない――それに姉さんにはなれないっ」

「……」

 それで、もう琥珀はダメになった。 これ以上ここに居ては翡翠を壊してしまう。
 大事な妹を思うのならば、ここに居ることは無策の極地だろう――ワカラナイ。

「ごめんね、翡翠ちゃん」

 何に対して? 琥珀は誤ったのであろうか?
 あまりにも色々な意味合いが取れて困ってしまう。

 琥珀もまた、部屋を出て行った。


「解っています。 姉さん。 秋葉さま――でも、私は何もできない。
 志貴さまの傍に居てあげるのは姉さんだ。 きつく叱ってあげるのは秋葉さまだ。
 私は――」












○








「まったく。 あたしはサポートセンターの受付嬢じゃないのよ? 聞いてるのかしら?
 栞――」

『べ〜だっ! 覚悟しててよ!お姉ちゃん。 わたしがい無いのにそんなにうれしそうなお姉ちゃんなんて嫌いですぅ!』

 ブツンッ――。

「切られちゃった。 はぁー、まったくこんな辺鄙なところにまた4人も人が来るのね。
あ〜あ……冬花さまになんて言おうかしら」

 昼下がりの美坂 香里は憂鬱だった。
 朝方、突然に懸かってきた携帯の主は栞――茜の失踪の一件で香里に相談を持ちかけてきたのだ。
 内容は、単純に解らない。 冬花に言わせれば心当たりがあるらしい。
 だから、4人にこっちへとくるように呼びかけた。

 香里自身次第に浮き彫りになる”表面”に戸惑いを隠せなかったし、もう少しだ、という確信が見えてきた。
 もう少しで影月の謎が解けると思えば小躍りもしたくなる。
 データーとしての機密を応用し、解答、そしてそれと繋がる”神区域”というキーワードも同時進行で行われている。
 ”神区域”その存在は冬花も知っているが同時に理解できない存在らしかった。
 ただ、そこに彼女は行ったという紛れもない事実の元おぼろげながら特定はもはや手の届く位置にある。
 明確な証拠さえ手に入ればその具現化をも為しえてしまえそうだ。 そんな予感がした。

 そんなこんなで香里は携帯をポケットへと戻すとキーボードを打つてを早める。
 淡々と刻まれるリズム――紛れも無い現実を純粋な文字の羅列は導き出していった。

 画面に画かれたのは数字ではない。 解読不能な図式……香里にはこれを解読する力があった。
 もう――本当にもう直ぐだ。

「あの、香里さん、居ますか?」

「入っていいわよ」

「あっ、失礼します!」

 障子を開け、入って来た留美を香里は余裕の笑みで迎え入れる。

 最近、留美は香里に接するようになった。
 理由は冬花の言葉。 もっとも能力がまともなのは香里しかいない、というところに起因する。
 留美とて能力をいつまでも持て余しているのは納得がいかなかった。

 確かに使えるだろう。 だが使えるといってもそれだけではダメだ。
 本当に使えるようになったとは言い切れないだけに思いは歯がゆい。
 眼鏡越しにこちらを見る香里に会釈をすると、留美は促されるがままに腰を降ろした。



――この子は成長が早い。 それだけじゃない。 能力としても追求者たちが狙っていたのも頷ける。

 留美の能力は見えない淡く白い光を放っていた。
 本人はおろか、香里もつい最近ようやく気がついたくらいに稀に見える光。
 香里はそれを”希望”と呼んでいた。

 留美の能力は一応のところ”言霊”を自在に操るということらしい。
 そんなものであったら、まだましだ――これはモット凄い。

 一能力者として留美の成長を楽しんでいる香里は単純に悦に浸っている部分もあった。
 栞に能力を叩き込んだ時のような余裕のなさは無い。 素人ゆえ、焦りと混乱の連続だった。
 あのころに比べれば今は余裕だ――呼吸が肝心。
 能力の呼応を完成させればある程度の能力は引き出せしまうらしい。
 香里も最近、関連書を読んでソレを理解したにいたる。

「相変わらず、地毛の青がキレイね」

「ありがとうございます。 でも、昔はこの色で苛められました。 どうして黒じゃないの?
 って何度親に尋ねたかわかりません」

「そう――」

 ふいに、香里が押し黙ったのは名雪の顔が脳裏に思い浮かんでしまったからだ。
 名雪は……香里にはわからない存在になっていた。 何時の頃か。

『あのね、わたしには祐一以外必要ないって思うときがあるんだぁ……』

『――どうして? どうしてわたしを1人にできるの?』

『許さない』

 一言一句が重い。 名雪と最後に話した一月前、明らかにその片鱗は見え隠れしていた。
 彼女は何も変わってい無い。 いや――変化を拒むが故にコアな部分を晒している。
 それが香里が最後に会った名雪、だとすれば?

――ああっ、こころがかき乱される。

「あの……香里さん?」

「――あっ、ごめんなさい。 それじゃ、始めて。 あたしは仕事に戻るから」

「あっ――はいっ」

 留美は多少戸惑いを抱いたものの、直ぐに元の香里に戻った、と安心し心を落ち着かせた。
 ――小波をイメージする。

 ――粗い波では無く、ただ、穏やかな潮の満ち干きを想像する。

 ――あたしの周りは暗がりで、そこに、手を伸ばせば掴めそうな光がある。

 ――あたしが求めるもの、つまり、能力。

 留美が戦う理由。 それは余りにも過酷なものだった。
 だが、そんな理由彼女以外にもゴマンと存在する。

 それが、現実だ。

 今の留美はそれを乗り越えようとも、抗おうともしない。 ただ極地に達している。
 青々としたボリュームのある髪がまるで小波のように揺れた。

「まだ、遠いなぁ……」

「そんなに簡単に掴めたらあたしはこんな仕事やってないわよ」

 カタカタ……。

「それじゃ、午前中、ずっと迷走を兼ねた瞑想が課題だからね」

「はーい……」

 カタカタ……。

 カタンッ――。
 


The Last Moon!

「翡翠ちゃんの痛みが、伝わってくるんです……」
「どうしたら、いいんでしょう? アルクェイドさん」
「――あなた達が思うほど、わたしは都合のいい存在ではないわ」


 

ばっく