第64話



 流れて行く背景と、車内の静謐感は余りにもかけ離れていた。
 静かさが、毒であるかのように思える。 気落ちがちに琥珀は胸を押えた。
 今、締め付けてくる圧迫感を感じる。
 ぎゅうっ――、と。

 翡翠と顔も合わせることなく、無意味に時間は蝕まれ、翌日、秋葉と琥珀は誰に見送られるも無く車に乗り込んだ。
 
 片道何時間だかの距離、悠長に蝕まれていく時間には罪は無い――だが、琥珀は苦しい。

――わたしは、翡翠ちゃんの何を解ったつもりでいたんだろう?

 いつも一緒にいたはずで、傍から見ても仲のいい双子の姉妹。 ”死”以外に確執は存在しないと思っていた。
 勿論、それは幻でしかないことを歳を重ねて理解する。

 それは、志貴という一因ではないような気配がした。 志貴はあくまでも志貴なのだ。
 翡翠と琥珀はそんな小さな問題で関係を崩そうとは思わない。 だが――それゆえに脆い。
 翡翠も琥珀もお互い、必要だった。
 必要であるが故に、お互いを必要以上に意識してしまう。

 それが、確執を生む事になるとは……。

「――何、さっきからダンマリこいてるのよ。 琥珀」

「えっ? あ、ああ、はい」

 はぁ――、と助手席から大きな溜息と少し疲れた秋葉の視線が注がれる。

――悩んでいるのね。

 自分とて琥珀との付き合いは翡翠についで2番目に長い。
 それなり、いやそれ以上に”親友”という域にまで2人の関係は達していた。
 おかしいことのように思えるかもしれない。 使える側と使役する側が過剰に仲がいい。
 それゆえに諍いが耐えないが、それすら仮初めだ。

 だから、今の琥珀を見るのは秋葉には我慢できない。
 多少なりにも、翡翠の気持ちを理解した気でいたが、最愛の兄、遠野 志貴に対して余りにも気を向けがちだった。
 心が盲目だった、ということへの配慮の欠落が秋葉を悔いさせる。
 
 秋葉は遠野家の当主だから、――だから、と言うわけでもないが、翡翠、琥珀を管理しなければならない。
 常に配慮を怠ってはならない。 いつもならできたことが、どうしてできないのかっ……。

ギッ――。

 秋葉思わず噛み締めた。 眉間の影は色濃くなって怒りを隠せないでいた。

「ほらっ、しゃんとしなさい。 兄さんに向ける顔じゃないわよ?」

「あはー、すみません」

「ホント、……。 琥珀もあまり深く考えない方がいいわ――先はそんなに長くないんだから」

「はい――でも、でも、こうして座っている間も、翡翠ちゃんの痛みが、伝わってくるんです……」

「そう。 双子って不憫ね」

 励ましもなければ、文句も無い。 秋葉は少しだけ、琥珀の感傷にもにた姿に同調をしていた。
 繋がりというものではない。 解ったつもりでもない。 紡がれたために繋がりはある。
 だから、秋葉にも翡翠の気持ちが僅かであるが流れてきた。 ”あの時”。

「秋葉さま、あの時、秋葉さまが困っていれば、翡翠ちゃんはもっと別のものになっていました」

「――どういう意味よ」

 解っているが問いかける。 軽いジョークでもしないと、本当にここは重い。

「あはー、言葉通り、秋葉さまが大人しいなんて嫌ですよ、とことです」

「――まるで、私、じゃじゃ馬みたいじゃない」

「ええっ、それも極悪な〜」

 気紛れな微笑とともに、時間と距離は進んで行く。
 
 アルクェイドとは現地で合流することになっていた。
 そして、合流したその時から、秋葉、琥珀、そしてアルクェイドの長い1日が開始される。

 だが、そんなこと、今の秋葉と琥珀には考える余裕すらなかった。






○





「失礼します」

 と言ってアルクェイドの部屋に翡翠は入って来た。
 
 昨日の事がまるで無かったかのような普段通りの翡翠は心地よく眠っているアルクェイドの肩を揺さぶる。
 んっ――、とアルクェイドは目を擦った。

「……朝なの?」

「おはようございます。 アルクェイドさん」

「おはよ、翡翠――ふぁ〜、アレ? なんであなたがここにいるの?」

「私はここに残る事にしたんです。 日常を過すために」

「……あっそ」

「朝食のご用意ができています。 お召し上がりになりませんか?」

「そうね――いいわよ」

 警戒な歩調でアルクェイドはベッドを後にする。
 翡翠に先に外に出ていてもらい、昨日のままの服の皺を直すとふぅっ、と軽く息をはいた。
 急遽用意した部屋だけに少し埃っぽいのだが、割愛すべきだろう。
 軽くはにかみし、アルクェイドは背伸びした。
 窓を開けると、暑いので空調はクーラーにまかせっきりな部屋をでると、翡翠は待っていた。

「あれ? 下にいったんじゃないの?」

「いえ、ベッドメイキングをしてから下へ参りますので、先に向っていていただけませんか?」

「――あら、ありがとう」

 アルクェイドは特に何も思った素振りも見せないで階段を下りていった。


○


 次第に小さくなっていったアルクェイドが、食堂に消えると、翡翠はアルクェイドの部屋に入った。
 上質な調度を施され、程よく配置された西洋家具の数々には落ち着きがある。
 シック、という言葉がぴったりな客間Aに入るやいなや、翡翠はよくやく緊張から開放され、ぼすんっ、とベッドに蹲(うずくま)った。

――私は何をしているのだろうか?

 自分のやっていることが理解できない。
 アルクェイドさんが出立してからすれば事が済むはずのことだというのに……追い出すようなことをしてしまう。

 志貴さまの専属メイドの前に、私はこの家に使える。 そこには規律なりバロメーターなりがあった。
 客人をもてなすのにも律儀な作法が必要で、正直苦手である。




 ベッドにはまだアルクェイドのぬくもりが残っていて温かかった。
 自然と眠りへと誘ってしまう体温が人にはあるという。 真祖はどうなのであろうか?
 翡翠はもちろんその事実を知らないのだが、うとうととしてしまうのは何も初夏の兆しなどでは無さそうだ。
 クーラーの効いたこの部屋は少し肌寒いらいなのだからそれは翡翠自身が良く知っていた。
 
「私は――変わりたくない」

 



●

KAMIKUIKI 1


 

 翡翠が1人、何も無い世界を歩いている。

 何も無い――考える事のない、いや、そう思うことすら必要としない世界を歩いている。

 ふと、一閃、光が過ぎった。

 ――?

 地面はある、ただ、真っ暗でなんにも見えない。
 
 やがて、歩くたびに光の量は増して、泳いでいるような気分を覚えさせられた。
 光に、翡翠は溺れた――。

 ドアがあった。
 開かれた――。

「えっ――」

 思わず、言葉を失った。

 世界が眩いばかりの光に包まれているのである。

 まぶしくて、そして肌をひりっとするくらいの、カラッとした暑さが浸透する。
 プリズムがそこかしこにできているかのような七色が光の正体だと気付いたのは、ようやく翡翠の目が風景に慣れてきたころであった。

 何も無い――例えるのならここは砂漠だ。
 砂ではなく反射する異常にして過密な光に覆い尽くされた砂漠。

「ようこそ、神区域へ」

 透き通った少女の声は背後から聞こえた。



○


 翡翠はワケがわからない。
 眠りについたはずなのに、彼女は今頬を抓っても目覚めない世界へと導かれ、そして歩いている。

 となりのベリーショートカットの少女の名前は無いらしい。
 キャミソールにホットパンツ。 こんがり焼けた肌は見た目より幼い(10歳前後)という印象を翡翠に与えた。

「抓っても醒めないよ。 ここは”現実”だから」

「……」

「あなたを守る騎士がこの先でまっているわ。 ――あなたは知っているかしら?
 相沢 祐一という青年よ」

「えっ――?」

 まったく関与していない、とまでは言い切れない。
 一度か2度顔を合わせた程度であるが秋葉と互角に渡り合い、そして倒した。
 そのインパクトは後にも先にも絶大なものだった。 ただ、強い男――野蛮という印象すら感じる。
 
 琥珀とはそういう話はしていないし、同姓同名の別人かもしれない。
 顔を確かめるまで、なんともいえない実情に翡翠は困惑を覚えた。

「あまり、臆しないでいいわ。 彼とてもいい人だから」

「解るんですか?」

「――彼、ここへ来るのは2回目だから話したことあるの。
 そうね、かつてここで起きた”捻れ”そして今も巣くうある要因を彼は知っているわ」

「捻れ?」

 翡翠が疑問を問うと、答は風に乗るように返ってきた。
 クスリッ、と彼女は微笑み、そして翡翠の瞳をじっと凝視する。

――眩しい。

 美しいとかかわいいとかいう形容詞をつけたら馬鹿に思えてくるくらい、彼女の瞳はまぶしかった。
 ただ、輝いていた。 子供だったころの自分はここまで瞳を輝かせていただろうか?

 その瞳には淀みが感じられなった。

「ここは、数年前、”仮称”され、そして具現されたあらざる”現実”。
 世界には空想を具現化する能力があると聞くは――能力者が、もしその区域に入ったらどうする?
 ここは神区域。 あらざるの世界の大元を昔になっていた世界だよ」

 今まで歩いてきたが本当に不思議だ。
 辺りにいや、開けた世界に木々が一本も存在しない。
 それはおろか、水滴の形跡もない。 ただ、プリズム。 地面だとおもっていた底すらプリズムであった。
 
「……さぁ、着いたわよ。 祐一! こっち来なさい」

 彼女の張りのある元気なそして、透き通った声に、地面に眠っていた祐一は反応を示した。
 そして顔を上げ、一瞬、翡翠の顔を見てはてな? という顔をしたももの起き上がる。

 濃緑の薄い素材で作られたジャンパーを着て、少し煤けたズボンをはいた祐一の姿はどこか不思議だ。
 顔つきも以前みた彼よりもずっと落ち着いた印象があった。

 そんな祐一はゆっくりと翡翠と少女の下へ歩いてくる――。

「やれやれ、お姫さまはメイドさん……、シンデレラかよ」

 思わずグチを零しながら。 


●

「翡翠っ!」

 びくっ! と背を震わせ、翡翠は目を覚ました。
 あれ――? さっきの気配は無い。 アルクェイドのベッドに寝そべっていた。
 正確にはアルクェイドの寝そべっていたベットなのだが……。

「もぅっ、御飯、遅いからたべちゃったわよ。 なかなか、興味深い味だったわ。 秋葉もああいうの食べるの?」

「……普段は姉さんがつくります」

「そうっ――それじゃ、わたし、そろそろ行って来るわね」

「あっ、はい、行ってらっしゃいませ」

 だっとアルクェイドは開かれた窓から飛び降り、走り去った。
 ――なんだったんだろうか? あの空気は。

 自然と、余計な事を考えられないあの世界に翡翠は興味を持った。
 だが、現実に戻ればまた苦しい。






 ……うとうと、と直ぐに眠気が襲ってきたとき、翡翠は嬉しかった。
 ああ、またこの世界から開放される、と……。


The Last Moon!


「最低翡翠〜、最低最低〜。 姉の顔がみてみたい」
「どうして、役どおりに動いてくれないんだろうね?」
「喰らってみるか? 48の王の能力を」




 ばっく