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第61話
ぎちっ――と肩を締め付ける衝撃にシエルは思わず苦渋した。
――これが代価。 凄まじい衝撃を抑圧する暗黒を思わせるベルトはシエルの腕に幾重にも巻きつけられていた。
本来これは祐一の所有物となるはずであった――だが、今はシエルの独断でシエル自身が使用している。
凄まじくその反動。 シエルは当たり外れのない賭けという意味では相殺として、観念していた。
それだけ、これには価値がある。 シエルの全身が崩壊しかねない第7聖典を覆う銃器は規格外だ。
その本性はシエルにすら扱いきれない鉄の面を被った獣であった。
それを振舞えるのは他でもなくこの暗黒色のベルト”ヘブンリー”のお陰である。
本来は麻薬――性的快感すら与えるマゾヒストたち――、特に性癖のイカれた奴等にこれは使われていた。
絶大な痛みを干渉し、締め付けによる快楽を伴う――痛覚神経の擬似麻痺こそこいつの本性だ。
「神の名のもとに、あなたを裁きましょう――」
銃口は黒薙へと向けられる。 シニカルに鎌を構えるその姿は人に非ず。
死神という言葉がぴったりだ。
そう――本当にこの男は性別以外何も教会は理解できない過去の住民。
かつて死んでいる。 鬼籍に入った男とシエルは今、対峙しているというのだが、馬鹿らしくは思えなかった。
死徒を処理してきた埋葬機関の代行者にとって鬼籍などという言葉、別に瑣末である。
むしろ、あの27祖ですら判明している分野のあるデーターがこいつには極端に少ない事の方が不気味。
それこそ杞憂をも通り越した奇怪さ、畏怖さの招待なのであった。
正直、自身の勝利に確信を疑ってしまう。
疑念の権化なのだ。 目の前の存在、黒薙は――……。
○
ぱしゃぱしゃ――と水飛沫は弾く。 いずれの音もキレイにはシエルの耳に聞こえた。
歩くと、自然と思考は構築されていくらしい。
だからシエルは歩くのが好きだ。
――その歩調をここで留められるわけにはいかない。
「聖者の行進か? 滑稽な。 ならば、俺は愚者で結構。
醜美は常に隣り合わせ。
憂う事などないことを教えてやろう――代行者よ」
やるきなく下げられた漆黒の鎌の刃はまるで生きているかのようにうねっていて気持ち悪い。
こけた頬の黒薙の目は以前にも増して鋭さが増している。
人間体としての彼もまた成長し続けるのだ。
彼が……であるのだから。
「何時まで、余裕でいられるか――楽しみですよ」
「同意だな。 知っているだろう? 減らず口もいい訳も――負け犬の遠吠えなのである、と」
シエルは歯を食いしばり、第7聖典(ALLセキュリティーロック解除済み)を黒薙の頭部へと発射した。
彼は微動だにしない。 あたかもそれが滑稽な戯れを演じるための前座であるかのように。
いや、彼にしてみれば、シエルは前座という判断であった。
目的はあくまでも横たわっている祐一なのだ。
役不足どころか血の一滴の知識も役に立ちそうに無い。
滑稽な愚典の塊”代行者”の人間。
彼は第5位であるかのメレム・ソロモンですら価値を幼稚と例えた。
死徒の知識は穢らわしい。 漆黒に朱を交えるとはなんと美しいことか――だが死徒は不純だ。
短く――それを追究しようとする人間の儚さ及び、一般生命の儚さすら彼の精神を勃起させる。
自慰の効果すら、人間の知識にはあるのだった――。
――それにしても、この人間は無価値だ。
彼には穢れが見えている。 くだらない束縛”死徒”の匂いが感じられる事は愚の骨頂だった。
シエルという存在にそのせいで殺意すらわかない。
かつて、藤香のプロトクルースをしとめた時はまだ、面白かった。
何より、死徒の皮を被った人間に他ならない。
人間は永遠に死徒になどなれない。
定説なのだ――死徒になるには、人間を捨てることが当然。
人間を抱いたままで死徒になるなど半人前の所為だ。
空は曇天。 薄暗いそれらの隙間から場違いな光が漏れていた。
だが、雨は一向に止む気配は無い。
ぞぅんっ――。 と、第7聖典は黒薙の頭部を貫いた。
眼球が飛び、破裂した欠陥は黒い。
骨は砕け、カルシウムは空へと帰結。 そして――漆黒の脳細胞、脳漿は飛散する。
ずるずる、とそれらは撒布され、あたりに飛び散った。
片の眼球が、シエルを凝視する。 射抜かれそうになる。
――頭部を射抜いた、だが、水瀬 秋子もそうであったように、いや、それ以上にこの存在は粗悪だ。
出来損ないが故にクセのある存在――そのクセの延長が、あの闇なのだとしたら……。
解答は何時までたっても出る気配は無い。
確かに、シエルが思うように水瀬 秋子は欠陥が多い。
何故なら、彼女は人間であるから。
だが、黒薙は完璧を通り越した神の域の存在者なのだ。
だてに鬼籍には入っていない。
シエルの勘ぐりはことも空しく裏切られている。
黒薙は再生という発想を処理した。奥に控える闇はほくそ笑む。
気配が――発展した!
「!!!」
「俺は、久瀬の知識を継承した。 故に、黒薙の定理を使えないわけが無い」
頭部を損壊した黒薙はまだ、平然と鎌をぶらさげ佇んでいた。
背後に、もう1人、冷笑を浮かべる黒薙もまた――佇んでいた。
錯乱という言葉がシエルの思考を乱す。
絶望という2文字がシエルの意思を混濁させる。
自らの死を意識させてしまうほど、この世界はシエルには不利であるように思えた。
「死にゆくか おろかささえも 知らぬ間に」
奥の黒薙はシエルに辞世の句を提供すると、首の無い方が走り出した。
重すぎる衝撃が、シエルの腹部を襲う。
――えっ?
バチンッ! と場違いなはじけるような炸裂音。
シエルの腕を締め付けていたヘブンリーが凄まじい衝撃を放ち、はちきれたのである。
反動は重くシエルの腹部を強打する。
骨を数本逝かせたのは確実だろう……。
シエルの半身はあまりの衝撃で声もでない痛みと、重々しい沈黙を彼女自身に与えた。
○
顔の無い黒薙の鎌はそんなシエルに無情にも叩きつけられる。
これは、決して好機などではない。
シエルの運はここで尽きたようだ――。
「わたしは、死ぬ――ん――です――か?」
「死ぬぜ」
網膜が焼けるかと思えるほどの鮮烈な血の嵐!
慈悲のない衝撃――重過ぎる鈍痛がシエルの肩を掠めた。
シエルは目を閉じる事ができない。
人は非常時にも笑えてしまうのだ。 失禁してしまいそうになるくらい死を意識したというのに。
絶望を意識したというのに――。
曰く。 鎌は自分の目の前で崩落した。
おぞましいまでの黒の干渉によって。
○
城島 司は親友の痛ましい姿にようやく手を差し伸べてやることにした。
親友――相沢 祐一が発狂する姿を見ていられるほど自分は脆い存在ではない。
そして、彼はまず第一にシエルという存在を救済することにする。
――いい加減、僕も目覚めなければならなくなった。
あくまでも自分は傍観者であり、そして”あの世界”の管理人の1人でありたかった。
最愛の親友の叫び、そして 唯一自分が同種と認めた青年、相沢
祐一の存在が彼を立ち上がらせる。
「……すまない。 瞬きの間だけ、僕は彼らの元へいってくるよ」
「あっそ。 勝手に行きなさい。 何時でも帰ってこれるよう西といてあげるわ。
でもね、なるべくあちら側と繋がりを求めないでね」
「解っている――僕はもう存在してはいけない人間だからね」
気丈なみずかの声に司は励まされた。 悲しい笑みを浮かべるのは、彼女のためだけではない。
自分――そして生けしモノ達への免罪符だ。
――僕は、何をしたかったのだろうか?
何度、自責の念に苛まれた事か。 葛藤だけが彼の現実だった。
愛した”先生”はここでも会えなかった。
だが、それでもここはいい場所だ。 余計な感情を作らない。
ただ、苦しんでいればいいのだから。
相沢 祐一がここに飛ばされてきた時も幾度と無く嘘偽りで偽装を続けていた。
本当は自分の側へ引き寄せたい――そういう願望も無かったわけではない。
二度と、彼がこちら側に来る事がない、と思ったのは最近の彼をみてきた経過。
彼は様々な人間と出会い、克服をすることができた。
自身の孤独を――。
――ある日、横切った黄昏時の公園の夕焼けが自分をフィードバックする。
何でもない格好で溺れてしまうかと思ったあの日の混沌。
何も存在し得ない現実への絶望――。
人はこんなにも簡単に自身を喪失し、そして狂うことができた。
僕は自分を殺す事で、意思を保った。
あるいは、僕はそれが好きだったのかもしれない。
あの日の忘却こそ、僕の真実であったとすれば、どれほど、僕は価値のある存在か。
僕はあの日に帰りたいとは思わない。
自分のことで悲しんでくれたみなにはすまないが、償おうとも思わない。
だけど、相沢 祐一は僕と同種。 親友だ――。
里村 茜は僕の親友だ。
干渉を許してもらおう。
そして、瞬きのまもなく、僕という存在は消えて行く。
約束は守られない。
僕は――あるいは、人間としては最低な存在だから。
僕は矮小な人間であった。
正確には僕は、もう、人間ではない。 それでも――、最悪な存在にはなれそうだ。
○
だが――不運にも、自分の最愛の親友によって祐一は苦しんでいる。
自分は何時までも座っていられる余裕は無かった。
――仮釈放だ。 罪の枷をつけたままの。
絶対なるアンバランスの守護者、城島 司は、ここでもまた悲しそうに笑った。
「黒き探求者――あまりにも、君は愚かしい」
黒薙は”肌”で感じた。
自分が本当に楽しめる男が目の前にいるということはなんと芳しい香りがすることか!と。
これは血の匂い。 汗のにおい。 精の香りであろうか?
いや――魂の匂いだ。
この男は自分と同じく生きていない。
だというのに地に足を着け、そして影を纏っている。
間違いなく――同質なである。
黒薙は司に尊大な気持ちを抱き、自分が動揺していることを認めた。
「くくくっ――くくっ……フハハ、面白いな。
これは予想外だ。 こんなシナリオ聞いたことが無い」
「静観だけではダメみたいだからね。 自分の知人2人の争う姿をみすみす見て入られないよ」
黒薙という陰そして、城島 司という影はあまりも歴然とした違いがあった。
「さぁ、殺しあおうぞ! 青年!」
「……君は何も解ってい無いよ」
それは、戦いを楽しむことのできるか、それすらも消極的であるかの差だ。
司は戦う事の意味の無さを遥か深い摂理のもとに知っていた。
理解していた。 体得していた。
決して意義は無い。 この世界の森羅万象は全て0(虚無)なのだ。
それが、たとえ詭弁であったとしても、彼は思う。
”戦う事になどなんの意味も無い”と。
司はただ、守るためにそれを否定した。
○
「今だけ、君を守ってやるよ」
「――そんな余計なことは無用ですよ? 私は……」
わき腹の痛みをこらえ立ち上がろうとするシエルを、司は広げた腕で妨げた。
「これは、皆、祐一の責任だ。 全ては祐一が悪い。
あとであいつに文句を言うといい」
「でもっ――」
「話しは後にしてくれ――」
首の無い黒薙はその拳をシエルへと向けてきた。
司は造作も無くその急襲を削ぐ。 その拳は漆黒の曲線を画き……、
どぅっ――!
首の無い黒薙の腕という存在は霧散した。
「……余計なことを」
クスリ、司は笑みを漏らし、シエルに視線だけ流した。
「言っただろう? 今だけは君を守ってやると」
The Last Moon!
「どうだい? 祐一の様子は?」
「ごめんね、翡翠ちゃん――」
「祐一、迎えに来たよ……」